育てなおしProject

自分が自分を認めるために必要なのは、間違った過去を正しい過去に塗り替えることだと思います。

批判的・神経症的な親の元に生まれた私は、親の意に沿わないことをすると途端に強い否定語で怒られ、従うように強いられました。

そのように育てられると、自分のことを「悪い子・ダメな子」と感じるようになり、また他者を「自分を否定する相手・支配する相手」と捉えるようになります。
人間にとって一番大切な「信頼・安心」の欠如した状態で生きていくことになります。

その生き方を変えるために、成人後『育てなおし』が必要だと考えるようになりました。
Googleで「育てなおし」と検索すると「岩月謙司」という人がひっかかります。
この人物は2000年初頭、ずいぶんもてはやされたようですが、クライアントに対する性暴力で有罪判決を受けたようです。
育てなおしというのは、なにも本当に子供のころの体験をしなくても、スキンシップをしなくてもいいと私は考えます。
潰された心をふっくらと正常な状態に戻しさえできれば。

私は一虐待児として、どうやれば自分を正常な状態に戻せるのか模索してきました。
最初は、加藤諦三氏の本を読んで慰められたり、アダルトチルドレンの概念を知って自分を可哀想と思ったり、西尾和美氏の本を読んで自分を回復する手段を考えたりしました。
複数箇所カウンセリングに行き、書籍に心を打たれた泉谷閑示氏のクリニックに通いました。
-でもどうやっても何かが抜け切れない気がする-
苦しい苦しい旅でした。

ところが今は、そこまで苦しいと思わなくなりました。
カウンセリングに効果があったのか?
それもあるでしょう。
でももっと効果のあったものがある。
それは・・・
絵本を読むこと、犬を育てること、人間を考えること
でした。
それらの行為がぺっしゃんこになっていた私の心をやさしくほぐしてくれました。

実は数年前まで大人が絵本を読む?と懐疑的な気持ちでした。
だって絵が描いてあって、字がほんのちょっと。ストーリーにひねりや奥行きがない。
なんでそんなもの意味あるん?と思っていたのです。
でもその単純さこそ、人と人がどうかかわりあっていることが正しいかを浮き彫りにしてくれていました。
とてもいい例が「ぎゅっ」という本です。
なんの台詞もないのに、懐かしさや心温まる感じがあるとても不思議な本です。
こういう本は目で読むのではなく、心で読むのです。
読んだとき自分がどういう気持ちになるかを、ゆっくりとかみ締める本なのです。

犬を育てることは、子供を育てるでも同じです。
澄んだ目で一心に見つめられ、全身全霊で信頼される悦びを肌で感じることで、ほんとうのふれあいの意味を魂に刻むことが出来ます。
駆け引き無しに信じられる相手を見つけることで、人間本来の信じる力がぐぅーっと引き出されます。

人間を考えることは、一見するとハードルの高いことかもしれません。
でもこれ絶対に外せない大切なことなんです。
例えば、人間を知らなかったころの私は、夫が妻を喜ばせる(プロポーズする、婚約指輪を贈る)のは当然だと思っていました。相手が病気のときは、心配するものだとも思っていました。
腹を割って話し合える親友はいて当たり前、親は子供を無条件に愛してくれるとも思っていました。
そしてそれを求めるがゆえに手に入らない苦悩にさらされ、自殺さえ考えるほどでした。
自らを殴りあざだらけになる、大量の薬を服用する、ムリな飲酒、物を壊すとまあヒドイものでした。
七転八倒の末たどりついたのは、自分は誰からも必要とされず孤独なのだという事実でした。
しかしこの事実は思ったほど私に絶望感を与えませんでした。
むしろ清清しさをもたらしてくれたほどです。
独りなんだという覚悟が出来ると、世の中が開けて見えます。
誰もいないのが寂しくないといったらウソになりますが、少なくとも人間が生きるうえで孤独を避けて通れない事実を知ったことで、いろんなことがさっぱりと諦められるようになりました。

多分この3つの事項を経験することで、私の中に間違った過去によって塗り固められた世界が剥がれ落ち、代わりに正しい今によってパステルの美しい色が塗られ始めたのだと思います。

私のやり方は誰かの引いた線路の上にきれいに乗ったやり方ではないため、回り道がたくさんあったと思います。それを体系化することができれば、間違った過去の負の遺産を継ぐ誰かが、重い荷物を比較的短期間で降ろせるのではないかと考えています。

そしてそれこそが、私の目指す『育てなおしProject』です。

過去がどうであれ、生まれがどうであれ、記憶を上塗りすれば、そこから新しい人生がスタートします。
生きづらいと感じている大人が再生できるということを、私の生涯を以って証明したいと思います。