モノづくり、機能から美しさへ→成熟の道のり

どのような商品が優れているか?
これは全ての物作りの現場で考えるテーマである。

エンドユーザー向け商品に対して、アップルが誕生するまで、日本は「機能」を優先していた。
人々は不便を解消しようと、お金を出して、便利を買った。

電気機器は、必要な仕様があって、それを詰め込めるボディーがデザインされていた。
ところが、アップルは出来上がりの見た目が先で、それに機器を詰め込めるよう技術革新しろと物作りの現場に迫った。
最初は無理だろ?と諦めていた現場も、スティーブの熱意に動かされて考えぬいた結果、iPodが生まれた。

美しさが便利さより優先されたのである。
これは時代の成熟を意味しているように感じる。

モノがない時代は、モノがあることが豊かさの物差しであった。
今、モノがあふれ、大量に廃棄されている。
捨てるほどたくさんあるモノの前に、貴方は豊かな生活を送れているか?と問うと、否という答えが多い。

豊かさのベクトルは、既にモノで計れなくなっている。

では、何が心の豊かさなのか?
それは、自分の心が満たされていると感じる様々な事である。
その事の一つが、「美しい」と感じること。
人が美しいと感じるとき、そこには、「まっすぐに、澄んだ、研ぎ澄まされた、哲学のようなもの」が、ギュっと詰まっている。

自分があるべきだと思う、もしくはあるべきだと気づかされた、その姿。
姿を見つめることによって、見えてくるのは、自分の有り様。
便利をただただ求めるのではなく、心から見つめていたいと思う、その存在に、人は突き動かされる。

時代が成熟されていくとは、その時代に生きる人々が、目先の利益よりも広い眼で見た利益をきちんと見据えることの出来る時代である。
山の稜線に掛かる夕日、満天の星空、絶えることなく流るる水、荒々しく削られた大地、ひっそりとたたずむ苔。
これらは皆美しい。
その美しさの本質とは何かを知ったとき、この世に「美しい」と感じる概念が存在する意義が見つかる。

人工物であっても、美しさは作り出せる。
作ることで人は豊かになり、豊かさが、人を思う心の余裕を作る。

より苛烈な環境を極める地球という乗り物を、地球人全員で護っていくために、我々は成熟の一歩を踏み出した。
その機運がそのまま続いてくれることを、心より願う。