アダルトチルドレンにとっての本

昨今、アダルトチルドレン(AC)に関する書籍が多く出回るようになりました。
本を手に取るとき、貴方は何を期待しますか?

 最初は、自分の苦しい思いを代弁してくれていることに、仲間が出来たようで、うれしさや共感を覚えるでしょう。

何冊も、何冊も、本を読み進めていく内に、自分の置かれた悲惨な環境を客観的に見るようになるでしょう。
さらに読み進めると、解決策を探したくなるでしょう。

でも、ここでちょっとした壁にぶつかるんです。
解決策って、明解に書いてあることはほぼない。
提案されている解決策をやる気にならなかったり、怖くて出来なかったり。はたまた効果に疑問があったり。

最終的に、読みっぱなしにしている人が多いのではないでしょうか?

でもね、もう一つ本にはAC関連の書籍には読み方があるんだなと、気づいたんです。

それは、自分の思い込みを捨てていく読み方。
たぶんACって、完璧な自分、恥ずかしくない自分というのを、デフォルトとしていると思うんです。

嫉妬はいけないよ、とか、ウソはついちゃいけないよ、とか。
でも実際にライバルに抜かれれば嫉妬するし、都合が悪くなれば軽いウソはつく。
後で、”そういう風に思っちゃイカン”と自分を叱責するんだけど、そんな自分を完全に無くすことはできない事実を前に、苦しみます。
だから、「自分の事好きになれっ」と言われると、拒否反応が出るんです。

そこで本の登場。
本の中の登場人物は、完璧な振る舞いをしていますか?いつも優等生ですか?
破綻してますよね?破壊的行動に出ていますよね?
そう、それが大事なんです。
生育過程の中で、いっぱい歪みを溜め込んでいる人は、どこかで歪みを発散させなきゃいけない。
それが、攻撃的であったり、否定的であったり、という行動に表れてる。
自然の理なんです。

ACが自己像としてあるべきと考えるデフォルトは、それと真反対。不自然です。
実現自体、無理なんです。
ですから、そのデフォルト脱ぎましょう。

嫉妬があってもいい、嘘をついてもいい。そういう自分の腹黒さや弱さも、自分なんです。

本を読んだ貴方は、書籍の中の人々の行動を責める気持ちにはなれないと思います。
それは、貴方にも当てはまるんですよ。

「そういう育ち方をしたら、そうなるのも無理ないね。」
「そういうのは、よくあることさ」
と感じるため、すなわち自分を許すために本は存在します。