私は世界を何色に見ているか?

交渉の方法を記した書物を読んでいました。
私はあまり交渉が上手くない。というより気が重いのです。
しかし、この書物を読んで、考え方を変える気になりました。

 交渉を上手く進めるコツは

・事前準備(理論武装)をする
・相手の望みを知る
・共同の問題解決に持ち込む
・普段から練習する
・沈黙を使いこなす
なんだそうです。

この中で3番目の「共同の問題解決に持ち込む」というのが、目から鱗でした。
交渉とは、「自分の利益を優先する為に、人に犠牲になって下さいね!」ということだと思っていたので、共同の問題解決という概念が持つ認識がありませんでした。

考えてみれば、物を買うときは売る側も売れるというメリットを享受できるし、近所に苦情を言うときは相手方がトラブル回避できるというメリットを享受できるのですから、けしてこちらの利ばかりという訳ではなさそう。
ですが、交渉というと、つい目線が自分の足元ばかりに集中して、相手のメリットという視点が抜け落ちてしまい、緊張してしまうのだと気づきました。

ちょっと話は逸れますが、ここ最近、言葉について「こういうと角が立ってしまうのに対し、こういうと角が立たずスムースに行くのはなぜなんだろう?」と考えていたことにも繋がる問題です。
例えば、難しい話をメールで説明して、最後に「分かりましたでしょうか?」というと、なんだか偉そうで角が立つのに対し、「ご不明な点があればいつでもご連絡下さい」と言えば、角が立たないといった話。

この態度の差はどこで生じるか?の考察を進めると、「自分の元々持つ世界を自分がどう解釈しているか」にたどり着きました。
世界を「自分を貶める敵色」に見ているときは、相手は攻めてくる存在ですから、常に臨戦態勢だし、言葉イコール文句と解釈してしまいます。
交渉は敵との戦い故に、勝つか負けるかに気を取られ、相手を負かすことに全精力を注ぎます。
一方、世界を「協力し合える仲間色」に見ているときは、たとえ目の前の問題が対立の様相を呈していても、どこかにわかり合える場所があるよね?と思って話を進めるので、リラックスして臨めるし、言葉イコール翻訳ツールと解釈します。
社会的背景が違うから、表面上言葉を交わしただけではわかり合えないけど、よくよく相手の腹を聞いてみると、合点のいくところもあったり譲歩が出来る場所もあったり、はたまた発見しちゃったりと、面白いことが見つかるのです。

この何色に見るか?は主に幼少期に大人がどう接してきたかに依ります。
「○○しちゃだめ」「こうやるもんでしょ?!」と大人が一方的に子供に論を押しつけるコミュニケーションスタイルを取った場合、子供はわかり合うことよりどちらが強いかを会話の重要点と理解し、継承します。
一方、「あなたはどう考えるの?」「なるほどそういう考えもあるね」と大人が子供の意見に耳を傾けるコミュニケーションスタイルを取った場合、子供はわかり合うことこそが人と人を繋ぐ方法なんだと学習し、継承します。

赤子は生まれたときは、頭の中がまっさらな状態ですから、どの色に染まるかは、まさに親のコミュニケーションに依存するのです。
人が好きとか人が嫌いとか、そういうこと以前に、そもそも人をどう見ているのか?
敵か仲間か。
これが一番大きい要素な気がします。

一度自分が何色に染まっているか考えてみてはいかがでしょう。
あなたがうらやむ人気者のあの人は、仲間色に染まっていると思いますよ。