疲労感の溜まる会話してませんか?

親しい人と話していても、別れてからほっとすることがある。
一方で、道ばたで出会った見知らぬ人と、ついつい話し込んでしまい、名残惜しさを残しながら帰路につくことがある。

知っているから、気心知れた会話が出来るというわけではなさそうだ。

では、どういうときに疲れを溜めるのだろう?
・全否定されるとき
・自慢話を聞かされるとき
・愚痴を聞かされるとき
・噂話を聞かされるとき
・妙な詮索を受けるとき
・全然自分と関係ない世界の話を聞かされるとき

くらいか?
どの話も、”(聞いている)私が価値ある存在”と感じられず、ヘタをしたら”(そんなことも出来ていないのか)と自己否定する”原因になっている。

当たり前だが、延々罵倒されたり、無意味なことを強いられると、人は鬱っぽくなる。
そのマイルド版が上記の会話だ。

全否定は、自分否定に
自慢話は、(私は自慢することないよ・・・と)自己卑下に
愚痴は、気分悪化に
噂話は、俗的いやらしさに
詮索は、自白強要に
無関係な話リピートは、時間の無駄に
つながる。
鬱状態まではいかないが、似たような感覚に囚われているように感じられはしないだろうか?
作り笑顔で対応せざるを得なくなるわけです。

反対に、元気をもらう話とは
・嗜好話に花を咲かせたとき
・考えを上手く軌道修正できたとき
・相手が自分を大切にしてくれてると感じたとき

だろうか?
自分という存在を後押ししてくれる話が出来ると、肯定感と勇気が湧いてくる。
自然と発生した笑顔は、その人と離れてすぐ消えることはない。

自身の会話を振り返ってみると、後者のような応対が出来ておらず、相手に笑顔というお面を張り付かせてしまっている。

もう少し、話がもたらすベネフィットを分析して、相手の疲労感が溜まらないように努めたいものだ。