無理はしない、でも変わる

新幹線で遠出したので、暇つぶしにそこそこ有名な方の心理本を読んだ。
さすが有名なだけあって、言っていることは的を射ているし、独自の視点もある。
ただ、一つ気になったのが、
「あなたは元々価値ある存在だと思い込みましょう」というとこ。

価値ある存在って思い込めたらどれだけ楽だろう。
ACはそう思う。
周りからいいことを言われたら、自分は価値ある存在と思い込めるだろうか?

一般にいいこと、即ち褒める行為とは、人格や能力を評価する賛美を送ることである。
でも、褒められた方は、”私はそんな優れた人格(能力)じゃないし、一度そう思われたらそのように有り続けなければいけな気がして窮屈”と感じる。
よかれと思って言った賛美が、相手を劣等感で満たし、自由を奪う根源と化している。

褒めるが使えないとすると、次は何か?
功績か?栄えある結果か?
アンラッキーなことにそんな物に恵まれない人は、一生自己否定感に悩むのか?

違う。
誰しもが等しく自分を認められる権利を持つ。
自分は自分であって当然、自分は自分らしくいて当然、という当たり前の感性を手に入れるためには・・・。

自分が抱いた感情を他者に追認してもらうこと。
理不尽な目に遭って、相手に「○○なことがあって、本当に腹が立った。許せない!!」と愚痴ったら、「まぁ、そんなことがあったの。怒りが湧いてくるもの無理ないわ」とわき上がった怒りを追認される。
すると、怒りはぱっと消え、「今回は運が悪かったわ。次はそうならないように策を打つわ」と建設的解に目が向く。

このループを体験することで、自分の感情は存在して当たり前のものであり、自分という存在がイメージとして明瞭に現れてくる。
これが自分を価値ある存在と思う大切な一歩なのだ。
実際脳の中では、今まで怒りが湧いたときに発火する神経回路が、別の回路に切り替わるという事が起こっている。

新しく生まれた回路は、その後何度も同じところが活性化することで、太さを増し、発火しやすくなる。
こうやって、徐々に自分は自分そのままでいいんだという感覚を育んでいく。

聞いてくれる相手は、慈愛に満ちた人生経験豊富な人(優しい祖父・祖母)か、訓練を受けたカウンセラーが良い。
間違っても友達に相手をさせてはいけない。

今までの自分に満足が行かないなら、変わろう。
ただし、無理に変わるのではなく、ゆっくりと方向性を変えることで、自然とそうなる、という意味で変わろう。
変わってしまっちゃった、くらいの感じで。

残念ながら、今の日本で、感情の追認に特化した治療をする病院はないと思われる。
今、色々と本を読みながら、どうやればACの自己肯定感を上げられるのかを考えている。

だいぶ見えてきた。
遠くない未来、わき上がった感情を成仏できる手法を編みだして、自己否定に苦しむ皆さんを少しでも楽にしたいと思う。