日本的責任の取り方

米国の大統領は4年に一度代わる。在任中にどのような不祥事が発覚しようとも重犯罪でもない限り解任されない。
一方日本の首相は任期満了に伴い交代するということが、ほぼない。在任中に国会が解散して首相が選び直されたり、阿部元首相のように唐突に「辞めます」といって辞任する。

不祥事が発覚した際の対応が米国と日本で180度異なることが興味深い。

一神教を信仰する米国民は、間違いを起こしたときに悔い改め、最後まで職務を全うすることが神との約束という考え方をしているように思う。

それは、どこまで逃げても神はその人を見ており、ならば改める以外道はないと腹をくくって正面から向き合おうとしてきたからだろう。

無信仰の日本国民は、間違いを起こしたとき、その過ちを犯した人を徹底的に排除し、過ちは見なかったことにして進もうとしているように思う。
それは、欺くことの可能な人間だけに見られていると思っているので、改める必要性を感じず逃げ腰でOKという考え方がとられてきたからだろう。

神や信念と共に生きる米国人にとって、日本人の二枚舌や変わり身の早さは到底理解できない。
首相の交代がありすぎて、現首相との約束に信憑性がないと海外に皮肉られるのは、もはや日本に対する定番の批判である。

我々日本人は間違いを犯した人に対して、対話していく力がないのだろうか?
間違いを犯した人は、更正できるチャンスを与えられることはないんだろうか?
どんな変人であっても、一応首相として選ばれし者なのだから、その人の持つ更正の力を信じて、その人のためにも、国民のためにも自分の過ちに向き合い、謝罪し、反省し、その罪と責任を背負って、国家を引っ張っていくのが、本当の責任の取り方じゃないだろうか?

この人の何がダメというのを批判するのは、短期でいいと思います。
それよりそのダメをどうイイに変えていくのかに時間を掛けていく方が堅実的です。

今の政治はたんなるダメ出しとつぶし合いです。
国家を作り、守るためには、まず国会議員自らを改める方法を皆で模索していく必要があるのではないでしょうか。

「人間はエゴのために生き、時に間違いを犯す」という真理に目をむけてこそ、国家を着々と育てられる首相を選出できるのだと思います。