2013-01-01から1年間の記事一覧
私は10年ほど前よくスキーをやっていて、その時スキー板に垂直に体重を掛けるポジションを掴むために、練習を重ねていました。怖くて腰が引けると、スキー板は暴走し、かといって前のめりになると顔から突っ込む。前に後ろにポジションを変えながら、腰の位…
メリークリスマス。
ありがとうと言われて、がっかりしたことはないだろうか?私は心を込めてあれこれやったのに対して、そっけなく「ありがとう」とだけ返されたとき、なんだか” とりあえず ”で返事されたように感じる。
独身の人に「結婚したいですか?」と質問すると9割近くの人が「したい」と答えるらしい。この【結婚】というありふれた単語、あまりに日常的すぎて深く考える人が少ない。しかし、【結婚】の意味するものが違うからこそ、結婚したくてもできない、結婚しても…
全く他人さんから大事に思われない私。まっ、ひと言で言えばちょっと軽んじられてるわけですな。そんな自分を変えるべく、自分の短所と向き合ってみましょ。
自分を第三者的に見ると、頼まれもしないことをよくもまぁホイホイやってのけるもんだと、呆れる。なんか、ぜーんぶ自分でやんなきゃいけない使命感をしょってるみたい。
一昨年、近所にネイルサロンがオープンした。しかし客入りが悪く、半年も経たないうちに閉店した。それから一月後、またネイルサロンがオープンした。そして今年の暮れ、シャッターは降りたまま。
ジェットコースター並に乱高下する自分への無価値感。普段はじっと心奥に控えてるんだけど、たまにガッっと前に出てきて「オマエなんか無価値だ」と追い立てる。結果、自分を殺そうとすることが何度かある。(勇気ないから完遂できないけどね)
分かりやすい気遣いをするとか、相手から言われたことをちゃんとやるとか、そーいう行動をする人は優しい人と評される。が、私はその人は優しくなんかない、むしろ冷たいと思う。
人は自分が都合の良いように状況を解釈する。だから一度伝えたことは、永久に伝わってるもんだと錯覚する。例えば「プレゼント送るわ」といわれて「ウキッ♪」とした直後に、「じゃあ、住所教えて」と言われると、”えー、引っ越し葉書出したやん(イラッ)”と思…
発言小町で「私はA子が心配だったので何時間も相談にのってあげたのに、同窓会でB子がA子に『あなたのこと本当に心配していたのよ』と声を掛けたときA子は涙を流していた。私の時はそこまで感謝されたことがない。なんで?」という問いかけに胸が痛くなった。
2夜連続で放送された「オリンピックの身代金」。描きたかったのはオリンピックに沸く人々の裏で、過酷な労働を強いられている人々がいるという事実。華やかな祭典の裏に、多くの人の犠牲がある。ここから我々が学ばなければならないことは、光りが存在すると…
ふと思いだした。学生時代、いきつけの喫茶店にランチを食べに親を連れて行ったとき「ここの食事はバランスが取れてていい。こういうのを食べなさい」。
結局周りは、私を批判するか評価するか無視なだけで、認めることなどないんです。ほとんど「アンタ間違ってるよ」「だからダメなんだよ」「こっちの方が正しいよ」と私の考えは潰され、だれも私の心を救ってくれない。これが、私の生きている世界なんです。
2日前に薬師丸ひろ子さん主演の「こうのとりのゆりかご」というドラマを見た。 助産師である薬師丸さんが赤ちゃんポストに我が子を預けようとした母親にかける言葉が、実にすばらしかった。
人に何かを伝えたいとき、言葉で伝えるには限度がある。言葉はどれだけ頑張っても理性の助けを借りねばならず、そこに幾ばくかの冷たさを伴う。
今までなんの気なしに自分の感じたこと・思ったことをだらだらと発言してきた。そのこと事態に何の疑問も持たなかったし、なにより自分の驚いたことや嬉しかったことに賛同して欲しかったから。
人伝えにある人(A君)が会社に来られなくなったと聞いた。転職先で上司と折り合いが付かず、精神的に疲弊しているようだ。朝、電車に乗ろうとすると気分が悪くなり、数駅で降りてしまう。家では、働く妻と幼い子供がふたり。今仕事を辞めるわけにはいかない。
「自信がない」と嘆く人は、多いと思う。自信のない人に、どうやったら自信が湧くかと聞いたら、[試験に合格したら][偉い人になれたら]となにかしらんのハードルを超えたときを自信を持ったとき、と答える。
配偶者Sと話していると、一種気持ち悪い感じがする。それはどんな判断も、私に負わせているから。私が既に述べたことを、まるで我が述べたかのように語り、最後に同意を求める。”えーー、ご自分の意見は?”主体性がない。
おそらく私は気の利くタイプに所属する。相手に対して、あれやこれや気を使い世話を焼く。黙っていても、よく動く。けれどそれが私の真の姿かといえば、おそらく違う。人の役に立たないと自分は無価値だという恐怖感から、尽くす行動にでる。周りは意識しな…
私には、なにもしなくても誰かに大切にされた体験がない(と記憶している)。自分が気を配って、尽くして、そしてお返しになにかをしてもらうという流れしかない。中にはお返しのない人もいて、だから私の心はどちらかというとカスカスの状態。乾いたぞうき…
結婚相手の条件を多く挙げる人は、人を人と思っていない。自分に当てはめると分かる。 失った月日は取り戻せないし、顔の作り、現在の社会ポジション、親の状態、髪の毛の量、ほとんどが思い通りにはならない。理想とは離れたそういうところを自らが安易に修…
男性にとって障壁にならない結婚というのは、「自由に時間やお金を使えるけれど、弱ったときには看護してくれ落ち込んだときには慰めてくれる人が傍にいる生活」だと思う。
以前勤めていた会社(上場企業の子会社)では、プロジェクトリーダーがほとんど機能していなかった。
「あんなに○○してあげたじゃない」のセリフに隠された想い。
人は皆平等です と言いながら、自分の中で好きな人、何も感じない人、会うのも億劫な人がいる。この順位は何によって決まるのかをちぃと考えてみよう。
誰かと誰かが話をしているのを第三者的に見ているとき、得点など表記されなくても「コッチの方が優位」と感じることはないだろうか?実は心の世界は、明確に示されなくても優劣を感じ取ることが出来る。
私はあまり人を信じることが出来ない。だから相手に任せておくとろくな事にならないと、常に主導権を握ってその場を乗り越えようとする。相手が力量があるなと判断した場合にのみ、相手に任せる。
人の話を聞いているとき、ついついやってしまいがちなこと。-流れを妨げる-自分という価値観の流れを相手の流れにぶつけてしまう。