人生の隙間を何で埋めるか

散歩しながら気づいたこと
横続きの土地で左端は売れ居住用として使用され庭には芝が青々としている、真ん中と右端は売れずに放置され草ボーボー。同じ性質の土地なのに、整っているとこ整っていないとこの差が激しい。
居住用の庭に人工芝を入れることで雑草が自然発生するのを抑えている。

人生はこれに近いのではないだろうか。

死ぬまでの膨大な時間に積極的に人工芝を植える人は青々とした美しい整頓の取れた人生を歩み、放置する人は他人によって好き勝手に人生が荒らされ荒涼とした人生を歩む。


受身で消極的な人生は即ち、他者に入り込む余地を赦し、自分の人生を放り投げることに他ならない。
私が常日頃から「自らの頭で考えることが最良の答えをだす方法だ」と言っているのは、考えることで雑草が生えるのを阻止できるから。

他人の庭を見て、真理とはこのようなところにも現れるのだなと感心しました。