結婚しつづけられる人だけが持つモノ

独身の人に「結婚したいですか?」と質問すると9割近くの人が「したい」と答えるらしい。
この【結婚】というありふれた単語、あまりに日常的すぎて深く考える人が少ない。
しかし、【結婚】の意味するものが違うからこそ、結婚したくてもできない、結婚しても破綻するといった現象が起きるのだ。

独身者がなぜ【結婚】を求めるかと言えば、①誰かに求められた証拠が欲しい②一人で生きるのは心細いので保険になるものが欲しいといったところだろう。


もちろん、子供が欲しいとか親を安心させたいといった副次的役割はあるだろうが、本質的には「我」を補うための手段としての結婚という側面が強いと思う。

ところが【結婚】の意味は全くの逆で、他者と共に生きることで、自分が相手に愛を与えることが鍵となる。
要するに一人で生きられる強さがある人が、余った力を他者に与える行為こそが【結婚】なのである。

一人で生きられないから結婚しようとしたのに、結婚を成功させるには一人で生きる強さが必要。
このギャップが結婚に対する悲喜こもごもの物語を生む。

人は皆、自分を認められたいと心から願っている。
好きな人に求められること、好きな人と笑顔で日々を送ること、好きな人に褒められること。
こういう出来事を以て、「私生きている価値がある人間なんだー」と無意識ながらに感じるのである。

裏を返せば、誰にも求められないこと、誰とも笑顔で暮らせないこと、誰にも褒められないことが日常化すれば、それは「私生きている価値ない?!」に繋がる。
そーいう人が結構な数いて、そこかしこの居酒屋・給湯室で「あの上司ムカツク。」「あの人ね・・・(ヒソヒソ)」という、人間としては品格の下がる行為をする。
まるで、自分の浮かばれない日常を憂さ晴らしするかのように。

他者に認められることにあまりに重きを置きすぎると、認められないことに意識がいってしまって、文句ばかりになる。
そんな人に優しく声をかけ、「君は頑張ってる」といってくれるのは、カウンセラーだけだろう。

ということで、自分で自分を認められる精神的自立をした大人でなければ、結婚することも、結婚を継続することも難しい。
未婚の男女が増えているだけでなく、仮面夫婦が多いというこの現実から、人口の半数、いや7割近くが精神的未成熟な状態にあるのだと推測できる。
即ち今、自分が結婚できなくて、もしくは結婚が上手くいってなくても、それが平均的日本人であり、落ち込む必要はない。
ただし、そこから幸せな3割にシフトしたいと思うのならば、やはり精神的自立を目指すことだ。

私が私を認める。余った力で他者に優しくする。そのうち私の力の強さに他者が惹き付けられて、自然と私を認めるようになる。そーいうループを上手に作ることが成功の秘訣。
【結婚】とは、もらうことよりも与えることが自然に出来る程成熟した大人だからこそなし得る業。
未婚者が出会いを増やして、数打ちゃ当たるみたいなもんじゃーござんせん。