友達の定義

友達ってなんだと思います?
・よく話す相手
・過去に共に多くの時間を過ごした人

他にもあるかも(スイマセン、想像力不足で・・・)
私の中で、一般的に言う友達ってこんなイメージ。
学生時代の友達とか、よく一緒をする仕事仲間などがコレに当たるように気がします。

ただ理想としては

・困ったときに、話を聴いてくれる人
・意見を押しつけず、相談者(私)の考えを尊重してくれる人
なわけです。

振り返ったとき、後者のようにいられる人って人口のどれくらいを占めるのでしょうか?
このような態度が取れるためには、精神的自立が欠かせません。
そのために養育環境の整備された場所で育ち、自分の人生に満足している
人でなければ、とてもじゃないが他者の尊重などできない。
日本で、そんな恵まれた環境の人大勢見たことありますか?

今の日本人は、対話力に欠けます。
これは全年齢関係なく。
老人はみんな仏のようにたたずんでいるなんて聞いたことないし。

最近は電気だけでなく、人間関係ですら、省エネされています。
対話とは己の弱さに対峙する危険を冒しながらも、他者のために協力をするという
難しくて、苦しくて、尊い行為です。
対話を受け、心が満たされた人は、他の人へ対話できるやもしれませんが、
生活全般が対話で満たされるなんてレアケース。
頑張ってカウンセリングの門をたたいて、やっと手に入るくらいなもん。

つまり理想の友達関係とはほど遠い、表面だけの繋がりが闊歩しているわけです。
友達がいないと寂しい と感じるようでは、友達を単なる寂しさを埋めるツールと
しかみていない証拠です。

人はなぜ人を必要とするかというと、自分という人間を認識するためです。
自分以外の人間を見て初めて、自分という人間の個に気がつける。
ひとりぽっちで、一面壁で、話しかけてもなにも返ってこない世界にいたら、自分と
他者をどうやって区別つけるのでしょう?

また同時に他者がいることで、自分で気がつけなかった新しい発見の扉を開くことが
できます。
人一人で考えられる範疇なんて、極狭(ごくせま)。
だから他者の力を借りて、自分では発見できなかったなにかにたどり着くんです。
それがなかったらいつまでも0歳の赤ちゃん。

そういった貴重な体験をするために、友達というのは要るのではないでしょうか?
だから友達に質を求める。自分も質を求められる。

実は生きて、人間と関係を繋げるというのは、けっこう厳しい世界なんじゃないかと
思うのです。
生きることに正面から向き合い、目の前の人と真剣勝負をしてこそ、心も体も
生きている状態になる。

携帯電話にたくさん電話番号が登録しているから友達がいる
来週ランチする相手がいるから友達がいる
というのは、おおいなる友達妄想です。

自分は全然素晴らしい人間じゃない。でもそんなヘタレ人間でも、人の話を聴く
くらいはできるでしょ?
誰かの力になっていれば、いつか相手も返してくれるかもしれません。
引き寄せることよりも、与えることで人は繋がることが出来る。
表面づきあいの友達妄想から抜けて、本当に人間として繋がれる人を探しましょう。