誰かを皆が信仰する社会への疑念

ある集まりがあって、そこで長(オサ)に相当する人をみんなが褒めるという
場面に出会った。
長はもちろんすばらしい人柄ではあるが、一寸距離を置いてみると、感情的な
ところもあり、神様のようにすべて卓越したというほどではない。
なのに、その場にいる人は全て「長はすごい!」というものだから、長もちょっと
いい気分になって饒舌になっていた。私はそこに村社会が形成されていると感じた。

誰かをすばらしいと感じられることは尊い。

でも、うーんと、なんていうか、洗脳?みたいな盲目的信仰はいいんだろうか?
もしそんな信仰があったら、信仰される側は常に高貴であらねばならず、それは
それでシンドイ。

長と周りはおそらく一回りくらい年齢が違うので、経験という意味では、長の方が
上だろう。
しかし、経験が上だからと言って、常に正しいとは限らない。

なんか、すばらしい人がいても、周りの人の態度で、あまりよくない雰囲気が
生まれるんだな~と感じた。
せめて集まりの中で、長に反駁するとか、マイナス要因の会話もあれば、バランス
が取れたように思う。

綺麗すぎる絵画は、つるんとしていて、印象に残らない。
むしろ、ちょっとゴツゴツくらいの絵画の方が人間らしくていい。
長だって人間なんだ!だから間違うことだってたくさんあるんだよ。
周りはそういうだめな所も、見てあげようよ。