無関心と受容しているは違う

Sさんとまた衝突です。
原因は、SさんのKOMAに対する無関心。

ある事項を検討するときに、元々の目標があるとします。

身体的問題のために、目標を再度設定し直さないといけない時が来たとします。
そのとき、大事なのは「人」ですから、人が害を受けるなら、何より優先して検討する必要があると、私は思います。

ですが、Sさんは当初の目標の方が、人より大事なんだそうです。
だから「○○しなくはないけど~」といった消極的・否定的な言動が目立ちます。

それを聞いた私は、心底ガックリきます。
「この人は、他者への思いやりがまったくないんだな」と。

思い返すとその傾向は10年以上前からありました。
若かりし頃Sさんといると、なんでも私の言うことを聞いてくれ、楽な相手だと感じていました。
その一方、Sさんの言葉が私を救っただとか、Sさんの行動が私を支えてくれたという経験はしませんでした。
だから、いつまで経っても、Sさんに惚れることはありませんでした。

Sさんがどっしりと構えて私を受け止めてくれる「受容」は皆無だったと思います。
その代わりに、無関心な領域に対するAll Yesがあったのです。

おバカな私は、相手がYesと言っているのは私への愛だと勘違いしていました。
本当は、無関心だったために、特段Noという必要がなかったので、必然的にYesだっただけです。

そりゃ、Sさんっていい人だけど、存在感ないなーって感じるわけです。

今回の問題では、Sさんがたまたま目標に興味があったことで、意見がぶつかりました。
違う意見を持つことはいいことです。
でも、そこに受容の要素は必要だと思います。
特に身体的問題に関わることならなおさら。

Sさんにとって、私は生きていても死んでいてもいい人間です。
たまたま歩いていたら棒にぶつかったくらいのニュアンスで、たまたま生活していたらKOMAと一緒に暮らしていたという感覚をお持ちです。

私が思う家族ってこんなんじゃない。
Sさんとは、家族ではなさそうです。