がんばらない

鎌田實氏の提唱する「がんばらない」。
アダルトチルドレンで周りを気にする私にはハードルの高い目標でした。
なにより頑張らないの実体がよく分からなかったのです。

普段の私はがんばっていないつもり。

朝遅く起きて、犬の世話をして、ブログを書いて、独り悶々と考えて、昼番組をみて、また考えて、夜番組を見て、食事を作って、配偶者と話をして、読書して寝る。

こんなにぐうたらなのに、心のどこかに焦っている自分がいて、焦りにつぶされそうな毎日がしんどい。
自分の能力を活かして社会に貢献していないことを苦しく思う。
勉強を始めるも長続きしない自分に嫌悪感。

どうも心が休まらないんです。

ということは、生活実態と「がんばらない」は必ずしもリンクしないってこと。
どんなに忙しくても、意識の上でがんばっていない人もいるだろうし、私のように客観的目線でみれば、なんにもしていないようでも意識の上で息切れしそうになっている人もいる。

がんばらないは、がんばらない自分を受け入れるということなのではないでしょうか。
10回やらなくてはいけないところを6回で止めたとき、それをよしとするか否とするか。
否の意識は焦りを生み、自らを駆り立て、精神疲労を招く。
これががんばることへの弊害だと思います。

6回やった自分に「よくやった」と声を掛けることができれば、そこでご褒美が与えられるので、がんばりは昇華されます。
そしたらがんばったという意識よりもよくやったという印象が残るので、精神的に余裕が出るのだと思います。

「がんばらないでいましょう」と言われて即その言葉の意味を受け取れる現代人はほとんどいません。
それほどに周囲はあなたにがんばることを要求し、我々はそれに応えることが善という刷り込みを受けてきたのです。
だから鎌田先生は、何度も繰り返してがんばらない大切さを訴えているのではないでしょうか。

私はこれからがんばらないダイエットをしたいと思います。
(病院の先生に太りすぎと言われたので・・・)
これが成功したら、がんばらないことが続くコツであり、結果をだす秘訣と言えるでしょう。