「自立」と「自放棄」の薄氷

似ているけれども、違う言葉ってある。

結婚相手の取捨選択/結婚相手を妥協する
努力を惜しまない/努力を当然と認識する
たまのご褒美は必要/褒美はもらうべきもの

スラッシュ(/)の左側はなんとなくいい感じなのに、右側は破綻の兆しが見える。
ほぼ同じ主張なのにね。
世の中で語られる事柄は、左と右の[小さくて、それでいてとてつもなく大きい差]が認識されまいまま、「これが正しい」と主張される。

例えば、たくさんの結婚条件を連ねる女性に対し、「贅沢ねぇ~、そんなんじゃいつまでも結婚できないわよ。人間どこかに妥協が必要よ、妥協がね。」と理想を打ち砕くことを言う。
それは正しいのだろうか?

お姫様願望はいけないことか/結婚に夢を抱いてはいけないのか/我慢して結婚するのか


私は「NO」と答える。結婚は自らを豊かにするものであり、精神に多大なる負荷をかけてするものじゃないと思うから。
かといって、この女性にこのまま突っ走れとも言わない。
なぜならメタレベルで見ると、ワガママを追求しても、諦めを追求しても、たどり着く場所は<不満・不幸>だから。
本当の幸せや満たされた世界というのは、自分で意志と責任を持ち、試練を乗り越え、互いに手を取り合い生きていくこと。
互いに手を取り合うためには、まず自立しなくてはいけない。

スラッシュの左側は全て自分で決め、自分の中で完結できる[意志を持つ状態]を指す。
右側は世間や他人に流されたり、支配しようとしたり・・・と自分の外で決着をつけようという[意志を放棄した状態]を指す。

同じ事柄を取り扱うとしても、状態、即ち挑む姿勢の差によって、後々の結果に差が生じる。
自分の意志の世界は自分で決められるし、幸福度も自分で調整できる。
外の意志の世界はどうなるか分からないし、大概他人に優位な方向即ち自分が損する方向に傾くので、不満がたまるし自ら調整できない。

世の中が不満であふれかえるのは右側の考えを持つ人が多いから。
「私のせいじゃない」「制度が悪い」「私は被害者だ」と自分を擁護する意見ばかり言う。
かといって、「こうやれば問題が解決する」「制度を変えるべく社会運動をする」「被害を訴えるために裁判を起こす」という”実行”には目を向けない。
ずーっとずーっと不満を言い続ける。

せめて自分が右側にならないために、/の隔たりに隠されている薄氷の正体を見抜くことだ。
何も考えなければ、正体は見えない。
見ようとする人にだけ、神はこっそり見せてくれる。