そんな解決の仕方は違うんじゃないか?と思うこと

世間的平均像から外れた人が、周りにあれこれ言われることを嫌って、どう対処したらよいか悩んでいる場合。
じゃあ、平均像になればいいじゃん!という解決方法は大いに間違い。

結婚すればいいんじゃん、子供を産めばいいじゃん、正社員になればいいじゃん、家を建てればいいじゃん。
それはそれは、世間様は数々の貶め言葉を使われます。

そんなもんにいちいち反応してたら、全員が完璧な人生を目指さなくてはいけなくなる。
現実的じゃない。

どんな生き方も、その人の味なんです。

当人が言葉に出さない限り、周りが平均からずれてることを言葉に出す権利はない。
そして、おおかた相手を貶めないとやってられないみじめな人が、相手の平均から外れたことを指さして、なんとか心の安定を保とうとしている。

誤っているのは、みじめな精神しかもてないその人であって、言われてる人ではない。
そこんところが、曖昧に認識されていて、「やっぱ、アノ人、ズレてるからね」という言いぐさが平然とまかり通っている。

私はそのことが許せない。
自分の心が弱い、自分が愚かなら、自分に返ってくるべきところを、人を貶めて、いじめて、という事態が成り立っている。
少なくとも言われる側は、自分が悪いのではないという自覚を持って相手の心を弱さを突くような切り返しをして欲しいと願う。

曖昧な態度、柔な態度が相手が図に乗ることを助長している。
人間の横暴を止められるのは、これまた人の強い信念。
自分は正しい!
そう思うことは何よりもまず大切。
その上で、人の助言に耳を傾ける。
傾ける価値のない助言は、言っている当人にそのままぎゅーっと押し返しましょう。