こういうマウンティングもある!

気づかぬうちに自分もやってた、人にもやられてた!と思う息苦しい圧力。
「○○しよっか?」

たとえば
「いい人紹介しよっか?」

一見、紹介してくれるなんて良い人風味に見える。

けど発言者の心の中を覗いてみると
”私は彼(夫)がちゃんといるのよ~、ふふーん。哀れなあなたにわずかでも恵んであげるわね”という、マウンティング感でいっぱい。
事は、単に紹介ではなく、発言者のストレス発散の場と化している。

他人と比較して自分の幸せを感じる人間は、チャンスがあれば必ず自分の優位さを押し出してくる。
心配するふりをして、優位さでその場しのぎの悦に入ろうと必死。
だから顔は笑顔で、心は鬼の形相。
「別にいらないよ」と断れば、「あなたのことを思っているのに~」という巧妙な返しで、この千載一遇のチャンスをものにしようとする。
発言者にとっては自分の優位さを確認することが、どんな果実よりうまみがある。

他者のこの巧みを見抜ぬくには、自分の心を聴けばいい。
”放っておいて!!”と感じるなら、あきらかに他者の悪巧み。
無断で自分の領域に踏み込んできているのだから、しっかりとノーと断ろう。

反対に相手からの思いやりで出た一言なら、”放っておいて”ではなく”助けに舟”と感じる。
助けて欲しいがあって、舟が来る。これが正しい順序。
要求→手伝いという順序を守る が鉄則。

これ即ち当人に主体をもたせるということ。
当人が思いも願いもしないものに他者は手を出さない。
母親が幼い子に将来のためを思って時期尚早の幼児教育を受けさせ、思春期ごろにうまくいかなくなるのと同様、心に沿わないことは良い結果を生まない。

操り人形のように他者を操ろうとする者は、心の空虚さを自分より立場の弱い相手で埋めようとする弱き愚か者である。
たとえ相手がよい立場にいようとも、強き心を持つ立派な人とは限らない。

学生友達、ママ友、会社の同僚という関係の中に渦巻く弱き心。
その中でマウンティングを繰り返す人々に巻き込まれたくないなら、きちんと順序という鉄則を守ってもらおう。
「あなたのためを思って」まやかしに惑わされない、真実の眼を手に入れるのだ。