私には「観察」が足りない

早とちり、勘違い、そんなミスをする自分が嫌になる。
どうしてそのようなクセが付いたのか→→考えてみた。

あるときの母親とのやりとりが頭に浮かぶ。

銭湯のコインロッカーでの出来事。
私は下着を床に落としたままロッカーを閉めて入浴しようとしていた。
そのとき母親が「アンタ、なにやってんの?ちゃんとしなさい」と言われ、ポカン。
母親の指の差した向きに、布の塊。”あっ”と思って拾い上げ、無言でロッカーに入れた。

母親と私の間に繰り広げられたやりとり。
これこそが、ミスを引き起こす根源だった。

母親は私がミスをすることを恥ずかしい、情けないととらえており、子供である私に完璧な振る舞いを求めた。
その結果、私にはミスをすることは悪いこと、みっともないこと、隠さなきゃいけないことという考えが染みついた。
するとどうなるか。

とにかくミスをしないように、ミスが露呈する前に処理するように動くようになる。
深く考える間を持たず、とにかくミスというお化けに会う時間を減らすよう急かされまくっている感じ。
そんな私に注意力や客観性が育つわけない。
とにかく逃げて逃げて逃げて、なんだから。

慎重にならなくてはいけない場面でも、「失敗したらどうしよう」が頭に浮かんで、とにかく無難に早く終わらせようとしている。
でもケースによっては、かなりの注意力を要するときもある。無難ではとても乗り切れない。

本当は物事に対処するとき、なんとかしようよりも、どうなっているのかを知ることの方が何倍も大切。
自分の思い込みで処理すれば、必ずどこかで齟齬が生まれる。
状態を知ってから対処する方が、ずっと効果的な方法にたどり着く。

なんで今まで「観察」をおろそかにしてきたんだろう。
追い立てられまくっている人生を顧みなかったんだろう。
これからは、まず観る、そっから考えるのクセづけをしていこうと思う。