他人の側から見ることが出来たら

人と話すとき思うことがある
「この人は自分の話ばかりだな~」

自分の世界から見た、自分だけが価値あると思っている物を、とうとうと述べる様。
それもだいぶん年上の人だと、滑稽に思えてくる。
「視野、狭っ!」って。

私たちはごく一般的な成長した場合、他人の目線から世界を見るということを経験しない。

たいがい「自分だったらどうするか?」という立場の交換をする。
でも、自分の価値観のまま世界を見たら、それで世界が見通せるだとも?

自分の世界から、世の中を見ることが如何に視野を狭めているかを知っている人はまだいい。
手に負えないのは、自分の世界が世界の価値観だと思っている人。

「絶対に!」を連発し、自分の考えを頑として曲げない。人の話に耳を傾けない。
とりつく島がない。
興味深いのは、そうやって自我を押しまくった結果、孤立するのだけど、それを「寂しい」と思っちゃうこと。
自分の考えがそんなに正しいなら、人に理解されなくてもいいと、開き直って一人で生きればいいのに。
中途半端に志が弱い。



UFOがいると思っている人とUFOなどいないと思っている人
両方がいていいし、
科学により証明されなければ信ずるに値せずと思っている人と科学を超えたところに価値ある物が潜んでいると思っている人がいていい。

大事なことはたとえ自分が前者の価値観を持っていたとしても、それで他人はどんな価値観を持っているんだろう?と一歩下がって観ること。
自分の知らない世界を他人が持つということを知るからこそ、他人と交わることができる。

絶対的に正しいものなど、この世にない。
人の命は尊いかもしれないが、古代はコロッセオで人同士を死ぬまで戦わせ、それを多くの人が観覧するという遊びがあったとも聞く。
ただ、現代の価値観において、人の命は大切にしなければならない。
それは他人から自分の命を大切に扱われることにつながるから。

人の命のケースのように、自分から見た世界と他人から見た世界の一致が実現したとき、双方の価値観としてその場に根付く。
それだけのこと。
なんでもかんでも一致したら、気持ち悪いし、多様性が失われるじゃん。

みんな違ってみんないい。
それが自分の生きている実態、他人の生きている実態。