相手に起こったら擁護し、自分に起こったら反省する不平等さ

同じ出来事なのに、自分に起こったときは反省し、他人が起こしたときは相手のことを考えて遠慮してしまうこと、アダルトチルドレンなら心当たりがあると思う。

たとえば自動車を運転していて、つい割り込みを起こしてしまったとき。

後ろからブーとクラクションを鳴らされたら、自分が悪かったなと反省するのに、
他の車に割り込まれたときは、本心では怒っていても、クラクションなど鳴らしたら相手が怒るかな?とハンドルに添えた手を引っ込めてしまう。

とにかくケンカすること、怒りを買うことを極端に恐がり、またケンカする勇気がないために、言いたいことを抑え込んでしまう。
挙げ句、根性のない性質を見抜かれ、他人にいいように扱われる。
自分でも思っているさ、「なんじゃそれ」って。

主語が他人だろーが、自分だろーが同じ事したんなら、同じように返したってええじゃん。
自分は許さなければならず、他人は許さなくていいなんてバイアス要らないよ。
自分を大切にするって、そういうところからでしょ。

怒りを表出する、上手に怒っていることを知らしめる。
そういうことをずっとするなと親に抑制されてきたから、まともにできない、できてない。
でも、意思ある存在としての自分をその場に置かなくちゃ、だれも私を人間扱いしないよ。

強くなるために、バイアスを取っ払う。それ、大事。