お久しぶりです。お元気でしたか?
そうですねー、確かに「また誘ってくださいね」は惑わされる言葉ですね。
OKなの?NGなの?と。
人によっては、たまたま都合が悪かったけど、本当は行きたかった。だからまた誘って欲しい。
また別の人にとっては、都合はつくけどあからさまに断ると印象が悪い。だからお茶を濁している。
つまり、返す側が「また誘ってください」とだけ言った場合、誘った側はどっちの意味とも取れる訳で・・・海外の人に日本語が難しいと言われる所以はここにあるのかもしれません。
なんでこんなややこしいことになったかというと、日本人全体が受身なんですね。
誘うのは勇気が要るし断られるリスクがあるから、イヤ。
でもずっと一人行動も寂しい。
そういう面をひた隠しにしているから、言葉が奥に引っ込んじゃってる。
元々誘いに否定的なときにも言葉が奥に引っ込むから見分けが付かないんです。
意思をしっかり出すということが出来ていない人は、曖昧な言葉を使います。
いつも逃げ道を用意している。
たとえば先の「また誘ってくださいね」は、もし誘いに乗って楽しい時間が過ごせなければ、「誘われたから乗ってあげたの。けして私が望んだわけじゃないわ」という道を用意している。
逃げ道を探している人と一緒にいて、一体どんなすばらしい空間が生まれるというのでしょう?
だからブログの最後に「縁がなかったんだとあっさり諦めるベシ」と書きました。
昨日のニュースで「日本人の国民性は『人の役に立ちたい』45%」という報道に思わず苦笑いしてしまいました。
人の役に立ちたいとは、人から認められたい、そのことによって自分を確認したいということです。
日本人の受け身な性質そのものを表しています。
海外ならきっとこういうでしょう。
自分の信念に忠実に実行した。その結果、人の役に立ったならLUCKY。
本来人の役に立つことは、目的ではなく結果なのです。