日常におけるほんのささいな「話が通じない」

当たり前のようなやりとりの中にも、コミュニケーションの齟齬(ディスコミュニケーション)がある。

今日まさにそれを体感した。自分も誰かに同じような態度をとっていないか、振り返るきっかけにしようと思う。

ディスコミュニケーションが起こるまで

インターネットでお茶屋さんに茶葉を注文した。注文したのは先週水曜。代金の振り込みは金曜。
通常振り込んでから1-2日で、「振り込み確認しましたよ~」って連絡が来る。

ところが月曜日になっても連絡なし。うん?振り込んだのにスルーかいっ!
しょうがなく、メールにて「振り込み確認されました?」と連絡したところ、次の日に電話がかかってきて、「メールの調子が悪くて返事できませんでした。振り込みは確認しています」と告げられた。

思わす私は「…」。

どこがオカシイのか?

このやりとりのどこがディスコミュニケーションだろうか。

私「振り込みを確認したか?」
相手「したよ」

上辺ではつじつま合っている。
しかし、心理的にはめちゃくちゃズレている。

私は言葉では「振り込みを確認したか?」と問うているが、実際は「振り込みがされてるか不安です。それと振り込まれているなら、連絡をよこさないのって不誠実じゃね?」と言ってる。
だから、「ご連絡が遅くなり申し訳ありませんでした。振り込みは確実にされておりますので、ご安心ください。こちらのメールの調子が悪くご心配をおかけしました。」が正解。

要約すると
私「振り込まれてるか心配なんだけど」
相手「こちらの不手際です。ごめんなさい。心配は不要です。」

これで内実ともに、あう。
表と裏、両方がかみ合ってないと、理屈は通るがしこりが残る会話となる。

目指すべきコミュニケーションとは?

世の中には表面をなぞらえて、「話が通じない」だの「あの人は聞く耳もたない」だのと相手を批判する人がいるが、果たしてそれは裏の意味も汲んだ上でのことだろうか。

言葉はどこまでいっても本意と完全一致することはない。だから人は言外の意図を読み取って、それを返すことで「人にしかできない高度なコミュニケーション」をしている。
これが出来ないと、会う人会う人全員とディスコミュニケーションをしてしまう。

だから今からでも遅くはない。表も裏も一致するコミュニケーションを目指そうではないか。