親に見捨てられそうになった体験が礼儀正しさを作る?

己をつぶさに観察すると、ヘンに礼儀正しいところがあるのに気づきます。人の家にいくときは手土産を、お世話になった人にはお礼状を、親戚にはお中元・お歳暮を、送るなど、年齢の割にきっちりしているかな、と。

その一方で、好き勝手に振る舞い、礼儀などナイも同然、にもかかわらず皆から愛されるキャラクターの人をうらやましく感じる自分もいて、「なんなんだろう?このアンバランスさ」と思うのです。

自らに備わった礼儀正しさは、本当は不要なのか?なぜ、こんなにキチンとしなければ?と思うのか、について考察してみることにしました。

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なぜ礼儀正しくするのか?

「あなたは、なぜ礼儀正しくするのか?」と問われたら、「常識と教わったから」と答えます。もちろん本気でそう思っています。でも、それは表層意識のなせる技。表面上はそう思っていても、心の底からそう思っているかは、別です。

考えてみれば、その常識と教わったものを遂行するか否かは、私の自由。でも、教わったからというだけで、無意識に受け入れてしまっている。その無意識さはどこからくるんでしょう?

思い当たるのは、「脅し」です。礼儀を教わるついでに、たぶんこういわれてたんだと思います。ー礼儀正しくしないと、のけ者にされるよー

ひとりぽっちにさせられるのを恐れる子供には、抜群の効果を発揮する言葉。その言葉を恐ろしく感じた私は、「そうなってはならない」と心に刻み、なるべく常識人として振る舞うよう、礼儀正しさに磨きをかけていったのだと推測されます。

本心はどう思っていたのか?

つまり礼儀正しさとは、人間社会において、のけ者にされないための手段だったわけです。あくまで自己保身が目的。でも本心は、と言えば、「よくわからない」です。手土産をもっていくとなぜいいのか?全然理解できていないんです。立場を換えて、私が相手を自宅へ招いたとき、手土産を渡されたら、「なんか、気を遣わせて悪かったな」と恐縮してしまう。

もし私が二人いて、お土産の受け渡しがあったとしたら、渡す方は「よくわからない」、受け取る方は恐縮する。これじゃなんのための礼儀正しさか分かりません。猿芝居をみてる気分です。

心の伴わない物品の受け渡しは、それほど意味を成すものではないと思います。

礼儀正しさは何のためにある?

礼儀正しさとは、本来「相手を敬っていますよ」という意思表示のためにあるのだと思います。「あなたを人として尊敬している」「あなたに会うのを楽しみにしていた」「あなたが好き」という気持ちを伝えるために存在している。

それさえ出来れば、なにか物品を渡す必要はありません。好き勝手に振る舞い、礼儀などナイも同然、にもかかわらず皆から愛されるキャラクターの人は、物品ではない何か敬いの気持ちを醸し出す技術に長けていたのでしょう。

それはとびきりの笑顔かもしれない、身体から発せられる「(あなたと一緒にいる)今が楽しい」という雰囲気かもしれない。いづれにしても、礼儀正しさ重視の私とは次元の違う、猿芝居ではない本気芝居なんだと思います。

礼儀正しさから紐解く人間模様

そうまで分かっていながら、なぜ、、私は礼儀正しさから抜けることができないのか?もう一段掘り下げて見ると、先ほど出てきた「脅し」がキーワードになる気がします。

母の口ぐせは、「みっともない」「○○したら恥ずかしいでしょ」と、私を見捨てる可能性を示唆するものばかりでした。幼い私の日常は、「脅し」にも似た親からの見捨てを如何に回避するかが最優先事項。そのために磨かれるべきは、母の気分を損ねないための技術。模範生のように、非の打ち所のない子供を演じることでした。

(母の作る厳しい)世の中で生き抜くには、礼儀正しさは必須事項だったのです。キライとかやりたくないといった選択肢はありませんでした。こうやって、私の中で、本来の目的である「相手への敬い」は隅へと追いやられ、保身が台頭する儀礼的な意味合いが強まったのです。

礼儀正しい人は必ずしもいい人なんかじゃありません。「親に見捨てられそうになった過去」を背負い、今この瞬間も「脅し」によって押さえつけられた何かを腹の底に携えた人々です。ですから、ひと度、礼儀に欠けた行いに出くわすと、猛然と怒りの火柱が上がることでしょう。これは単に怒っているのと違って、長年溜めたものがドカーンと吹き上がっているのですから、そんじょそこらの応急処置じゃ間に合いません。礼儀正しい人というのは、巨大な怒りを携えたとても厄介な存在なのです。

礼儀正しくあるのも考えものですね。

ですから、礼儀正しい人はいい人などと安直に考えず、礼儀正しさの裏に辛い過去あり、と思って接してみましょう。案外、今までとは違った人間模様が見えてきて、人間味あるお付き合いが出来るかもしれません。