小さなエゴと相対する方法

よく、親友が幸せなときに自分が不幸せの渦中にあって、お祝いできないことに自己嫌悪する自分をなんとかしたいという相談がある。
親友の幸せを一緒に喜べない自分は、薄情だろうか?
もし、無理に笑顔を作って喜んだふりをすれば、それこそ偽善の皮を被った薄情では?

人は自分が満たされていないと感じる時、比較対象となりうる存在が満たされていると、小さなエゴ(嫉妬やねたみ)に取り付かれる。

その小さなエゴをまるで無かったかのようにすることはできない。
エゴは生まれるべくして生まれたのだ。

では、そのエゴをどうするか?
邪魔者扱いするか?厄介払いするか?
無理である。

我々が出来ることは、といえば、エゴに向き合うこと、ただそれだけ。
「あっ、今私嫉妬してる。」「『自分は不幸なのに』って思ってる」、それだけでよい。
自分のエゴを自分で受け取る。
そうすれば、さっきよりキィーという気持ちは落ち着く。

その後、自分に相手のことを喜ぶ余力があるかを尋ねる。
「○○ちゃんのこと、喜べる?」、「はい」と返ってきたら、自分の幸せを想像する。
幸せはたいしたことなくていい。
今日飲んだカフェのドリンクが美味しかった。
お布団がふかふかだった。
そうやって、ちょっとずつ自分を満たした上で、時間が空いてもいいから、相手のことを喜んでいるよと伝えるといい。

では、「いいえ」と返ってきたら?
何が「いいえ」と返す気持ちの源なのかを考える。
自分は彼氏と別れたばかりで、結婚が決まった相手と比較するのが辛い など。
それでいい、今は辛いのだから、そう感じる自分を認めよう。
相手には、正直にその気持ちを伝えよう。
感情的になることなく、自分は○○で今辛いから貴方の喜びに寄り添えない、と。

もし相手が貴方を大切に思っているのならば、誠意を持って話をしてきた貴方の誠実さに、一定の理解を示すだろう。
仮に、私の喜びに賛同できないなんて、人でなし!と怒る相手ならそれまで。
人間誰しも同じタイミングで幸せの波が来るわけではないのだから。
そういうズレも含めてつきあえる人が、生涯つきあえる友である。

無理に器を大きく持とうなんてしなくていい。
嫉妬もねたみも、生まれるときは生まれる。
それを無かったことにしようと抹殺することが、なによりも不誠実である。