弱い者を虐げる世界への対処

去年職場で虐待を受けた障害者が970人に上ることがニュースで報じられた。
障害者施設に侵入して、40人以上を襲い19人もの人を殺める事件が発生した。
この二つのニュースは、いずれも弱者である障害者をターゲットとしている。

腕力、知力の弱い者は不当な扱いを受けても、十分に反撃出来ず押し黙ることが多い。
そのことを悪用して、やりたい放題するヤツがいる。
そういうヤツは、強い者には絶対攻撃しない。ブーメランになって自分に返ってくると分かっているから。

いつの時代も弱い者へのしわ寄せは消えない。
「人間は他人を思いやれる知性あふれる生き物だから、人を信じなさい」という性善説が成り立たないとは言わないが、相手の人間性と状況による。
信頼出来ない人なら、弱い者から搾取するだろうし、誠実な人であっても困窮したら悪い行いに手を染めるかもしれない。

「そんなの自分には当てはまらないよ」と考える人がいるとすれば、要注意だ。
今回のニュースのような分かりやすい差別だけでなく、身近な日常のそこかしこにそれは存在する。
例えば、部下には堂々と持論を述べるのに、上司にはYESしか言わない、であるとか、友達にランク付けをして、格下(容姿、成績、人気度が低い)には横柄に振る舞い、格上にはあいそよく振る舞うなど、皆一つぐらい心当たりはあるはずだ。

では、差別をするのが悪いと一刀両断するのか?
それは違うと思う。
差別をするのは、人間の「性」。
差別するなーと声高に叫んだり、差別しないように自分を抑えたりするような処遇はするもんじゃない。
自分が”差別しそうになるなぁ”と思ったとき、立ち止まって、”あっ、差別しようとしている”と俯瞰することだ。
その後差別するかしないか、決めたらいい。

やっちゃいけないのは、自分の衝動に任せて、一時の快感や優越感を得るために、差別してしまうこと。

本当に強ければ、そのときの意識の切替方まで習得できるけど、それなり訓練が要る。
だから今は湧いた感情を理解するだけで十分。
差別を無くそうではなく、差別が生まれる瞬間を感じよう。