振り回さない言葉

そっと添えられた一言で、救われた感じがすることってあります。

昨晩NHKの摂食障害について取り上げた番組をチラッと見ました。

そこで摂食障害の女性が、従姉妹に「ひまわりの花はガーベラの花を羨ましいと思って花を咲かせているわけではないんだよ」と言われて、救われたと言っていました。(スイマセン、内容はうろ覚えで詳細は違います)

そういうなんでもない日常や真理を木訥(ぼくとつ)と述べられると、心の中に背負っていた物がすぅーっと軽くなることってあると思うんです。
摂食障害ですから、過食や拒食という食に対する問題が発生している。でもそれは元をたぐれば、認められない自己への強烈なる縛りだったりするんです。
で、縛っているのは誰かというと、他でもない自分。
他人は摂食異常を見て、「やめなよ」とか「体に悪いよ」とかついつい言いたくなるんですけど、自己を縛っている上にさらに他人から命令されるって、本人からするとめっちゃ辛いんです。

そういうとき、なんでもないこと、だけど縛りを溶くためのヒントをスッっと出されると、なにか気づきが起きるんです。
ちょっとだけ、「頑張りすぎてた自分ってなんやろう?」と自分の縛りに目がいく。

支えってそういうもんじゃないかって思うときがあります。
基本、本人が自分で直す。他人はヒントを出せるくらい。

他者としての、絶対的境界線に屈することやと思うんです。
口で言って、命令して、直せるなら、そもそも摂食障害になんかなっていない。

人間は弱い存在です。
でも支えてくれる人がいると思ったその時から、ゆっくりでもはい上がっていける。
周りはその人を信じて、そっと声をかけていく。
そういうもんじゃないでしょうかね。