少女達の心

今日の17時台のニュースを見ていたら、傷ついた少女達に救いの手をさしのべる
雑誌社の人を取り上げていた。

取材されていた少女は一様に行き場を失っており、辛そうだった。

高校を中退し、渋谷センター街をうろつく子、学校も行って、両親とも仲がいいけど
本当は別の顔を持つ子。
少女たちが普通の子からはずれてしまったのは、ちょっとしたつまづきがきっかけ。
だけど、そのつまづきに誰も手をさしのべなかった結果、少女たちは自暴自棄になった。

人間って周りから大事にされているときは、自分も自分を大切にする。
周りが大切にしてくれなかったとしたら、人間は自分のことをどう思うだろう?
特に人格形成途中の若年者が、周りから粗雑に扱われたら一体???

少女たちだって、ちゃんとHELPを求めた。でもオトナはそのHELPに向き合って
くれなかった。そのとき感じた絶望感はいかほどだったか。心が痛くなる。

私自身オトナになってみても、対話できる人が少ない。対話のスタートはまず
相手の心からの言葉を「聴く」こと。
どんな人でも「聴いてもらった」らそれだけで一人じゃないって思える。
寂しさが薄くなる。

だけど、この「聴く」って実は相当な人間力が試される重労働。目をそらさず、
言葉を挟まず、ひたすら聴く。聴く内容が自分の弱点と重なっていればいるほど
話題を避けたくなる。でも聴く。
聴く姿勢を崩さないことが、聴く人間の強さなのではないだろうか。

少女たちの周りのオトナはきっと弱い人間だったんだと思う。弱いから自分を守る
ことに必死で、彼女たちのSOSを聞き入れる余裕がなかったのだ。
だれが悪い訳じゃないけど、オトナだったら、自分に相談されたことくらい責任を
もって聴いてほしいと思います。

世の中は「聴く」ことをとても求めているのだと思います。