ただ幸せになりたかっただけなのに・・・

自分を受け入れてくれるところが欲しかった。居場所が欲しかった。
ただただ、幸せになりたかった。
そう願いを込めて、恋人や友人、配偶者を求める人々。
そのささやかな願い、なかなか叶いません。

相手が見つからないんじゃない。
ココニイル。なのに、どーして、心が繋がらない。
自分の言葉が汲まれない。
とっても寂しい。孤独で死にそう。

二人でいても、独りって、一人きりよりもっと寂しい。
分かります。分かりますとも。

でもね・・・

その願い諦めてください。
よほど運が良くなくては叶いません。

人間は、訓練や修行を積んでも尚、自分という価値観から離れることが難しい。

だから他者が貴方の価値観で考えてくれる事って、ほとんどないんです。
もし、そういう人がいたとしたら、当然みんなから大人気。
貴方独りのものにはなりません。

そりゃー、幼児期に親が自分の心を汲んでくれたら、ここまで受容されることを
今求めなかったかもしれない。
でも、所詮”かも”なのです。現実じゃない。
そして、成人すれば、二度と幼少の頃に受容されるような体験はできません。

神様は、人間を不平等に作る。
受容された経験を持つ心の安定した人間と、そうでない人間。
その事実を受け止めましょう。

たまたま貴方はそうでない人間だった。
ただし未来もそうでない人間であり続けるかは、別問題。
今手に入らないことを騒ぎ立て、周りや運命を呪っても、なにも変わりません。
事実を受け入れ、孤独に向き合い、粘り強く目の前の人間と対話する。
対話を通して、心を汲むことの出来ない不出来な人間同士が、小さな間違いを
修正していく。
その積み重ねの先に、頼りなくですが受容される体験が見えてきます。

最初からパーフェクトな人間はいません。
幸せになりたいと他者に求める人間は、すでにお相手がパーフェクトに自分を
幸せにする技量があると決めつけていませんか?
一緒に育っていくんです。

未熟だから、育っていける。育っていけるから、見たことのない未来に希望が持てる。
人間の可能性は無限大です。
全ては心がけ次第。