日本人は罪と人を区別できない

日本人の悲しい性
-ひとつの出来事が気に入らないと、そこに関わる人を嫌悪する-

ある出来事でもめた人同士がいるとする。

所詮ある出来事だけに対して意見が衝突しただけなのに、互いに挨拶さえしなく
なる。さらには相手を視界にも入れなくなる。
はぁ~おこちゃまだなあ。

罪を憎んで人を憎まずって、どれだけの日本人ができますか?

いい大人がちょっともめただけで、相手を無視するのを見て、なんて幼い精神構造
なんだと、あきれたことがある。というか、だいたいいつもあきれている。

幼さゆえにおこる無視という攻撃が怖くて、大方の人は自分の意見を主張する
ことより、波風を立てないことを優先する。
だから問題点のあぶり出しが後れ、事が大きくなってから大騒ぎする。
企業もしかり、家庭もしかりである。

問題を問題としてあぶりだし、立ち止まって考えることはそれほどまでに悪なのか?

確かになあなあていることは、ぬるま湯につかっているようで楽だ。
だけど、ぬるま湯はいつか冷えてしまう。
温めるためには、ぶつかることも必要。
むしろ、大事なことはぶつからないと正しい方向が見えてこない。

今の日本人は問題(罪)と人間を区別して、都度考えることが必要性であると心から
感じるのです。