生きてる人、死んでる人

現代は死んでる人が多い。電車の中で、無表情に揺られている人、いわれた仕事
を淡々とこなす人、今日もつまらないなぁとため息をつく人、することがなくてぼーっと
してる人。

生きてると死んでるの差はどこにあるんだろう?

それは、今この瞬間に心を開いているかどうか。心を開いていれば、時々刻々と

自分も環境も変化していることが理解でき、その都度状況に合わせた考えを持てる。
困っている人がいれば即座に助け、言うべき言葉があれば、自分の力で言葉を
紡ぎ出す。
同じように行動しているように見えても、死んでる人の行動はパターンだ。
お年寄りがいたら席を譲るというパターン、会社の会議で司会(といっても、単純な
進行役)をするパターン、信号が赤になったら立ち止まるパターン、相手が泣いたら
誤るパターン。

人間は敏感にできていて、ある人の行動がパターンか、都度考えたのか肌で
感じられる。典型的なのは、プレゼンテーションを一字一句間違えなく完璧に
行った場合。完璧だろうけど、情熱が伝わらない、気迫が伝わらない、眠いZzz。
これはいわゆるパターンってやつだ。
原稿も予行演習も必要だけど、最後に会場にいる人の反応をみて、都度言葉を
変えるという生きた行為が抜けているから、完璧なのに物足らずな印象になる。

パターンだって、年寄りに席を譲らない人よりも余程まし。
だからって、パターンにあぐらをかいているようでは、いつまでも生きた人間には
なれない。

私の行動を振り返ると、とっさの機転が利かせられていない瞬間がある。
それは、その瞬間自分が死んでいた証拠。
ぱっと対向車に道を譲るとか、さっとハンカチを差し出すとか、笑顔で返事するとか。
小さな事だけど、ちゃんと主体的に生きて、考えて行動できること って大事だと
思う。

基本生活はパターンで暮らして良いと思う。
そしてパターン化することで、残った余力を都度考える力として、臨機応変に
使用すればよい。
そうやって生きていれば、周りから生きている魅力的な人に映るだろう。
意外とモテのコツかもね。