おばちゃんの「東北の人かわいそう」に腹がたった

先ほど大阪城のあたりを散歩してきた。
今日は天気にも恵まれ、桜が満開のこともあり、大勢の人でにぎわっていた。
桜が風に吹かれて、ひらひら舞い落ちるたび、心が洗われていく気がした。
気温が上昇したこともあり、アイスクリームをほおばる人々をたくさん目にした。
大阪城は青空の下、堂々とした城構えで、見る人を魅了していた。
そこまではいい。

が、

帰りに何人かで大阪城を訪れていたおばちゃんの一人が「東北の人かわいそう」
と言ったことに、腹が立った。

かわいそうという言葉は、「私は幸せだけど」というニュアンスが含まれる。

「東北の人が気の毒だ」なら、まだ分かる。
けど、かわいそうって・・・。

かわいそうと思うなら義援金をかき集めて送ってくれ。
かわいそうと思うなら、桜をめでられる幸せをかみしめてくれ。
別に思ったことを口に出すなとは言わない。
けど、心情差別はいかん。
かわいそうとは、ともすれば上から目線となり、私は関係ないという部外者意識の
現れだと私は思う。

日本国民全員で東北・関東で被災した人々を支えていくのだ。
その気構えがあれば、かわいそう以外の言葉が出てくるのではなかろうか。