暴君と草食は似たもの同士

なんでも自分の思い通りにしようとする暴君は一見すると受け身一辺倒の草食系と
相反しているように見える。
ところが暴君を掘り下げてみると、意外に草食系と同じ所にたどり着く。
それはなぜなのか考えてみよう。

暴君がワガママに振る舞うのは、自らへの愛が不足しているせい。

本来なら親から愛され、その愛が心の中に定在し、愛をかき集める行為、すなわち
ワガママを言う必要などない。
ところが愛された記憶のない子供は、自らを否定する考えにとりつかれ、愛に飢える。
飢えた愛を補填すべく、ワガママを相手に押しつける。
このワガママがくせ者で、全て自分の言う通りにされることを望んでいるのではない。
あくまでも幼い頃に得られなかった親の愛というワガママを欲している。
このワガママとは、「神が下すような正しい判断を代わりにしてくれることと、保護して
くれること」。←まっ、残念ながらムリですね。
[幼い頃は自分の頭が未発達だったから、親の判断==神の判断 と思えただろうし
保護するにしても、保護を怠ると場合によっては死んでしまうということもあって
徹底的にされる可能性もあったろう。
大人になると賢くなって、強くなっていることを加味すると、親のような存在を得ること
は、もはや不可能だ。]

このワガママを聞けるのは、愛がわからずに、つったっている草食系だ。

草食系が受け身なのは、自分が主張してよい環境に遭遇したことがないから。
希望を述べて受け入れられる、自分の好きに振る舞うという経験なくして、
自分の欲を自覚することはできない。
むしろ欲を持つことは、よくないこととし、常に相手を立てようとする。
自らへの欲(愛)がなんだかわからない状態なのだ。無欲とは違う。
欲が見た目上ないのだから、暴君がワガママを言ってきたら、そっくりそのまま
受け入れてしまう。

これで暴君と草食系の組み合わせの出来上がり!
双方の共通点は、愛がないところ。
ここに自立型の人間は参加しない。
クレクレ星人とぼーっとしている星人は、愛を自給自足できる自立型には魅力的に
映らないから。

暴君と草食系に不足していると思われる視点は
「どうやったら、目の前の人を幸せに出来るだろう?」ということ。
暴君は「どうやったら、自分が幸せになるだろう?」と考え、草食系は何も考えない。
だから一緒にいたとしても、一緒にいる喜びを分かち合うことが出来ない。
どちらも大人としては、未成熟なのです。

ちょっと、見渡すと暴君と草食系はあちこちにいます。
自立型を見つけるのが難しいくらい。

愛の不足した人生は、けして満ち足りた瞬間が訪れることがない。
だから幸せになりたいと本気で願うのなら、自分の心の中に足りていないなにかを
発見し、それを補填することを自らの力持ってやり遂げる必要があるのです。
その覚悟があるかどうかで、これからの人生が決まる気がします。