対話の賜(たまもの)

ずっと勘違いしていたこと~優秀な人はすぐに解にたどり着く~

我々は他者が努力している様子をかいま見ることが出来ない。

だから他者が受賞したところや、昇格したところなど晴れ晴れしい舞台を見て、
「あの人は優秀だから、結果を出せたんだ」と思いこむ。

その一方努力無くして結果はでない、優秀な人は優秀なだけではなく、努力している
のだよと教わる。
凡人の私は、優秀な人は努力でさえも、きっと効率が良いのだろうと思ってしまう。

確かに人には向き不向きがあって、不向きなことは解にたどり着くまで効率が悪い
方向を選択してしまう。
しかしオールラウンドに不向きということは、確率的にほぼゼロ。
なにかしらん、できることがある。
ただし、それはある条件を満たしたとき。

その条件とは
「最初から完璧に出来る人など、地球上のどこにもいない。」
という真理を知っていること。

その真理を前提とすれば、うまくいかなくても、なぜだろう?を繰り返し考えることが
できる。繰り返すことで、考えは洗練されてゆき、いずれ解に近いところにたどり着く。
これこそ、エジソンがやっていた”出来るまでやるの精神”だ。

なぜだろう?という対話は、なにも人に対してだけ行うのではない。
学術、産業、健康などの事象に対しても十分適用できる。
耳を傾け、声にならない訴えを訊こうとすると、見えないものが見えてくる。

私は人生をよりよく豊かに生きるために、対話ほど大切な物はないと思います。