世の中には「絶対」や「完璧」がないという事実

設計をやっていると、この回路は完璧か、どんなときも不具合を起こさないか
と問われて「Yes」と言い切れることはないんだなと実感する。
経験則において、安定的な動作をするだろうと予測はできる。
しかし装置がどんな環境下で使用されるか、何年使用されるか、力学的な力が
加わるのか、そもそも内部のチップや抵抗の完成度はどうなのか・・・
数えたらキリがないくらい不明な要素はある。
しかし、最も確からしい選択をすることによって、最悪の事態を避ける努力をする。
これが設計だ。

ところが設計したことのない側は、完璧な装置を作れ!と無茶な要求をする。

作り手側は内心「そんなのムリだよ」と思う。

「完璧」を求める側は、いつも無知だ。
それは世の中に絶対的正義があると信じているのと同じくらい無知。

優秀な医師・弁護士ほど「絶対」という言葉を避ける。
だって未来は誰も予測できないのだから。
成功すると信じていても、とんでもない爆弾が降ってきて、勝利のシナリオを
ぶっ壊すかもしれない。
だから「確率は高い」くらいに押しとどめておく。
そうすれば、意外なことが起こったときに、バカみたいに「想定外」という単語を
連発して責任逃れするなどという滑稽な態度には出ない。

我々は、どれほど無知にどっぷりと浸かり、安心しきって生きているんだろう。
どれほど、無能な人の言い切りを信じてしまっているんだろう。
人間が考える葦だというのならば、どんなに知識があったとしても経験があったと
しても、その上に胡座をかくような堕落的な生き方をしてはならないと思う。

無知の知。
大切ですよ。