一方的に話を聴くばかりだと疲れてしまう

友達から電話がかかってきて、長々と愚痴を聞かされる。
本心では迷惑だけど、だからといって無下にも出来ない。仕方なくつきあっていた。

そんなある日、私にも相談したいことができたので、珍しく自分の話を切り出すと、「そんなの大したことないじゃん。自分で考えなよ。」とバッサリ切り捨てられ、いつもの愚痴が始まった。

私って彼女にとって何?

そう思ったことのある人、けっこう多いんじゃないでしょうか。

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話すと聞くの違い

話すと聴くは大差がないようで、実は真逆。
話すとは相手から愛を奪うこと、聴くとは愛を差し出すこと。

愚痴を言うのは、「私の言葉を理解して、同意して、慰めてね!」という要求です。子供が親に無償の愛を求めるように、他者に聞き役という愛を強要している。

愚痴を聴こうとすれば、相手の感情を丸被りせねばなりません。感情の追体験は神経をすり減らします。当然ながらメリットはなし。

それを大きく勘違いして、「私を信用してるから素直に感情を出してくれてるんだ!」などと喜ぶのは、早急です。
愚痴ってくる人は、聴いてくれる人のことなど、なんとも思っちゃいません。
単なる感情のごみ箱くらいに見ている。

だからこちらが「聞いてよ」というと、即座に「大したことないよ」と切って捨てるんです。ごみ箱役になるのは損だってわかってますから。

あなたは信用されてたんじゃなく、ごみ箱としての価値があっただけ。

そんなんでいいんですか?

ごみ箱人生の意味するもの

あなたが今疲れてるとすれば、「自分で自分をごみ箱程度の人間です」とみなしている証拠。
挙句、「人の愚痴を聞くことぐらいしか、役に立てない人間」と決めつけてしまってませんか。

その決めつけに従い、周りは心ゆくまで感情を投げ入れてきた。
すでにごみ箱は一杯です。
へんな液体や、腐った食べ物でぐじゅぐじゅです。

不衛生なものを抱え込んだ心は、「もう、無理です」と悲鳴を上げている。

だったらここは一旦、ごみ箱の中を点検しましょう。掃除をしましょう。

誰かに愚痴を聞いてもらうのではなく、愚痴をすっきりするまで書きなぐりましょう。

そして、人の愚痴を二度と聞かない。もし愚痴ってきた人がいたら、「そんなのあなたの問題だから、関係ない」と突っぱねましょう。
それを聞いた相手は、「この人には愚痴は言っちゃいけない」と悟って、別の人を当たるでしょう。

愚痴のない世界の先を考える

人の愚痴聞き役を降りた結果、話すことがなくなったらどうするか?迷う人もいるかもしれません。

いいじゃないですか。ゴミがなくなったんです。何も投げ入れられることのない自分を楽しみましょう。箱に入れたくなる宝物が出てくるまでじっと待っていればいいんです。

ごみ箱があるから、ごみが捨てられる。
捨てる人がいてくれるから、ごみ箱にも存在する意味がある。
互いは必要とし、されています。つまり共依存の関係。

この関係は意図して崩さなければ、ずっと続きます。
ですから、愚痴に「No」を言うこと。

疲れという明らかな信号が出ているのに、これ以上ごみ箱で居続けるのは辞めましょう。