婚活疲労外来について考えてみる

婚活という単語が生まれて数年。
結婚したい人達を表すにふさわしい単語として、多くの人に受け入れられ使用されて
きた。
その副作用として、婚活疲労が生まれた。

やればいいこと、やる方法が明確になって、イザ出陣と頑張ったはいいが、どうも

描いたように行かない。人はそのギャップに悩み、つぶされそうになって、外来の
門を叩く。

精神が疲労するときは、大体同じ道をたどっている。
理想を描いて、精進して、でも上手くいかなくて、ついには周りから非難される。
このサイクルのどこに、自らをケアするという”やさしい視点”があるのだろう。
自らが自らを責め立て、周りも頑張りなさいと貴方を追い立てる。
がんばって、がんばって、がんばっていたら、どこかでプチっと糸が切れるのは
当然でしょう。
がんばって、褒めて、がんばって、褒めてを繰り返すから、ちゃんと前を向いて
歩けるのですよ。

褒めるって、自分を甘やかすことではありません。
前を向きながら進むための大切なプロセスなんです。
自分をスーパーマンのように頑張り続けられる人間だと思うことの方が、なんぼか
傲慢な考えな気がします。

我々は心持つ人間です。
強いときもあれば、弱ってしまうときもある。
その両方があるから、いろんな人のいろんな気持ちが分かる”やさしい人間”に
なれる可能性があるのです。
「がんばれない自分は、心の弱った人間に共感できるやさしい自分である」と解釈
したら、疲労している自分もまたヨシと認められるのではないでしょうか。

疲労させているのは、他でもない自分自身です。
結婚しないからって人生が終わるわけじゃない。
むしろ笑顔が無くなる方が、人生終わりな気がする。

「結婚しなければ」という捕らわれ概念は、自分の視野を狭くします。
婚活から距離を置いて、”やさしい視点”の意味が理解できるまで、自分を大切に
してみてから、再度婚活に取り組んでみては如何でしょう。
自分を赦し、相手を受け入れるやさしさが身についたなら、きっと出会った相手に
「この人となら、苦しいときでも一緒にやっていける労りの精神がある」と思って
もらえ、前向きに交際が進むことでしょう。