忙し過ぎて離婚する夫婦

有名人にありがちな離婚理由の一つに「多忙によるすれ違いの生活」がある。
”忙しいからともに過ごす時間がなく、結婚の意味が見えなくなったのね”と周囲は
納得する。
でも、その程度で思考が停止するようでは、また同じことを繰り返す可能性がある。
少し掘り下げて考えてみよう。

結婚するのは、「助け合い」「支え合う」ためである。

その範囲は経済的から精神的まで多岐にわたる。
生活習慣や価値観の違うふたりが一つ屋根の下で暮らすのは、思ったほど容易では
ない。ちょっとしたことで互いのスタイルの差が露呈し、ぶつかる。
そういうリスクを負って尚結婚をするのは、一人で生きていくことが心細いからである。

社会生活を送る中で、相手が自分を潰しにかかることはよくある。
人はエゴの塊であり、エゴを通すために相手と自分が相容れないことがあるからだ。
批判を浴びる日常はそれなりに自己を消耗する。
そんなとき、人は心に安全基地を求める。
その安全基地こそが、「家族」という存在。
「助け合える」「支え合える」家族がいるからこそ、明日も社会に向いて戦っていける。

ところが結婚して持てるはずの安全基地が持てなかったらどう思うだろう?
大体の人は「約束が違うじゃないか!」と憤るはずだ。
それでもなんとか話し合えば分かってくれるんじゃないかと必死で相手と話をしよう
とする。
そんな時、多忙で相手が全然捕まらなければ、「話さえできないのか・・・」「私と
話すことは相手にとって優先度の低いことなのか・・・」とガッカリ感が積もり、
「安全基地がもてないなら、結婚の意味無し」という気持ちになって、離婚する。

つまり結婚における最大の意味は、外の世界と戦うための心の安全基地を持つ
ことなのだ。
その役割が果たせない限り、夫婦として真の繋がりを得ることはままならず、
ちょっとしたきっかけで脆くも崩れ去ってしまう。

忙しくても短い時間の中で相手に戦うための戦意や心を休めるための癒しを与える
ことはできる。
でもそれが結婚の意味だと気付かなければ、どんなに多くの時間を過ごそうとも
結婚の実感が享受できずに、孤独感が増す。
私個人としては、「結婚とは何か」を話し合って、コンセンサスを得てから結婚した
方が、忙し過ぎて家族を振り返る余裕を相手がなくしたときに、相手にこっちに
振り向いてもらいやすいと思う。