女性が手にしたいのは結婚ではなくて安堵感

女性は結婚したがる傾向が強い。
でも本当に望んでいるのは「結婚」なのだろうか?
そこらへんを考えていく。

私が思うに、女性が結婚をしたいのは下記のものを手に入れたいから。

1.他者から批難されない日常(結婚は?子供は?と迫られること)
2.選ばれたという優越感
3.自分の味方がいるという安堵感
4.経済的余裕
5.堂々と出産できる権利

4.5.は人によりけりであるが、1~3は大方の人が当てはまるだろう。
何かと人と比べたがり、無用に世間から非難を浴びる性別だからこそ、我が身を守りたくなる気持ちがあるのかもしれない。
そして、それらを手に入れるために、自由な時間が減ること、家事が増えること、望まない人付き合いの義務を背負わなければならない。

けれど実際結婚してみたところで、意外と裏切られるのが、3.だったりする。
3は成熟した大人同士じゃないと成り立たない。
どちらかが未熟だと、途端に片側に<味方でいることの重し>がのしかかり、息苦しくて逃げたくなる。
経済的・仕事的負担と同様、心理的負担もフェアーでないと長続きしない。

私の話を聞いてくれない、義両親とのいざこざの仲裁に入ってくれない、子供の問題に参加してくれないといった各種家庭で噴出する問題に男性側が対処しきれていなくて、信頼関係が崩壊し、離婚というケース(いわゆる性格の不一致)は、星の数ほどあるだろう。
従って結婚相手を選ぶときには、3.が成り立ちそうかどうかを見分けるのも大切なことだと思う。

肉体的にはどう足掻いても我々は一人一人バラバラ。しかし心で繋がることができるから、人は家族を作ろうとする。
その家族とは、単に利便性だけを追求したものであろうか?
家族か家族ではないかは、戸籍で決まるのではない。心の中の相手を信じられる度合いで決まるものだ。
特に他者同士を掛け合わせた配偶者という関係は、なによりも心の繋がりが欠かせない。
しかし世間を見渡すと、じっくりと腰を据えて互いの話を交換しあう相手がほぼいないことに驚く。
そういう世間の中で、自分と話を出来る相手を見つけることは、ことのほか難しいし、我が身を振り返ってみると、意外と自分の絶対正義に縛られている現実に気がつく。

形骸的に結婚している人が多いと言われるゆえんは、家族を構成する個々が「我の未熟さ」を理解していないことにある。
我が幼いと、いつまでもつまらぬ人しか引き寄せぬ。
結局人生は自分の成熟味との戦いだと思う。
どこまで自分が熟せるか、その一点に掛かっているのだ。