自分を受け入れてくれる人を待つ不思議

20代までは、夢見る夢子でもいいと思います。
でも30代も中盤にさしかかった独身の方が
<いつか受け入れてくれる、理解してくれる結婚相手を待つ>
のは、どうなんでしょう?と思います。

30代にもなればそれなりに経験を積んでいるわけです。

自分の周りにどんな人がいて、自分は何が出来る人で といったところが固まってくる。
アイデンティティとしては十分出来上がっていると思うのです。

だから過去の経験と照らし合わせれば、自分の願望が実現不可か見分けがつき
ます。

仮にそういう方に対して、私が
「あなたはいままで生きてきて”相手をまるごと受け入れたことがありますか?”」と
お尋ねしたら、即答でイエスと言えますか?
私はあなたが既婚であってたとしてもイエスとはいえないと思います。

他者はどこまでいっても未知なる存在・別の存在であり、思い通りに動かないことが
大半です。
受け入れようと努力すること、話し合って擦り合わせていくことを経て、人は共に
暮らしていくのです。
自分以外の誰かと生きている人は、みな等しくこれをやっています。
やらない人は、犯罪者(DVやストーカー)か、結婚破綻者(仮面夫婦含む)です。

自分の全てを受け入れてくれる人を待ち続ける人は、人どうしの付き合いにおける
衝突や隔たりが何も見えていないのです。
それこそありもしない理想を持ち続けて白馬の王子様を待つシンデレラ症候群の
人となにも変わらないのです。

葛藤や衝突を乗り越えるからこそ人間の愚かさ、もろさ、泥臭さが見える。
そういう嫌なものに目を向け共に挑んで勝ち得たものこそが血となり肉となる「絆」
だと思います。

30過ぎて夢見る夢子発言をするとバッシングを受けるのは、「努力したくない。
かっこ悪く生きたくない。傷つきたくない。でもおいしいところは持っていきたい。」と
いうご都合主義が鼻につくからです。

単に周りに異性がいないだけで年を重ねてしまった人は、もっと地に足の付いた
発言をするものです。