お相手探しに奔走し、ときには費用を支払ってまで出会う。人を「結婚」にひた走らせる理由を考えたことはありますか?
食事はコンビニ、洗濯はクリーニング、掃除は清掃業者に頼める時代、家事を肩代わりしてもらう意味は失われました。子供を持たない夫婦も増え、必ずしも家を継ぐことが目的にはならなくなりました。
では、最後に残るのはなにか。
「寂しさ」です。誰もいない部屋に帰るのが寂しい、皆は家族がいるのに自分は独りぽっち。そういう気持ちが嫌で、パートナー求める。
当たり前といえば当たり前、なんですけど、なぜそんなに「寂しい」ことを嫌うんでしょうね?
人の痛みは二つある
通常「痛みを感じる」のは、身体のどこかが傷ついたときです。切り傷を負った、炎症が起こっている。そういうときに「痛みを感じる」のは、とてもよく分かります。
けれども、もう一つ「痛みを感じる」ときがあるのだそうです。
それが、仲間ハズレにされたとき。うろ覚えで申し訳ないのですが、身体の傷を負ったときの同じ脳領域が活発になる、と聞いたことがあります。すなわち、身体に傷を負ったが如く、仲間ハズレは痛みとして感じられるのです。
それを分かった上で、いつ「寂しさ」を感じるか考えると、
- 皆が家族の元へ帰るのに自分は帰る場所がないと気づいたとき
- 盆・正月といった家族でまとまるときに自分だけ家族がおらずポツンといるとき
自分だけが、仲間ハズレにされてると感じると、「寂しさ」という痛みがジンジン来るのです。
このとき「自分だけが」というところがポイントで、もしみんなが仲間に入れてもらってないのなら、痛みを感じることはありません。独身貴族が集まって、毎晩騒いでいれば、それはそれでみんな一人者という仲間だから「寂しさ」を感じることはないんですね。
受け入れてくれる人がいるから強くなれる
生きていれば、どうにもならないことが出てきます。そんなとき、いくら実績があっても、どんな心の強い人でも、自信を失ってしまうことでしょう。
このピンチに、駄目な自分を丸ごと受け入れてくれる存在がいたとしたら、どれだけ心強いことでしょう。価値ある自分ではなく、価値ない自分が受け入れられる体験ができると、カムバックの強いきっかけとなってくれることでしょう。
それを家族という存在に、託しているのだと思います。すなわち、家族とは最期の砦。
目的が分かれば選ぶ人材も見えてくる
このように結婚する目的は、【仲間ハズレという事態を避けるため】、と、【ピンチのときにカムバックするきっかけを得るため】、です。
それに見合った人材であれば、結婚生活が上手くいく可能性は高くなります。
帰りを待っていてくれて、どんなピンチでも丸ごと受け入れてくれそうな人材、どこかにいないでしょうかね?そう思って知人を思い浮かべると、これがまたなかなか該当する人が見当たらない。とても希有な存在なんですね。
すなわちあなたの目には幸せに映るあの家族も、あの夫婦も、実のところ、そうでもない。期待した最期の砦どころか、最初の砦にすらなれてない。破綻せずになんとかやってる、という程度です。
既婚者が「結婚なんてするもんじゃない」と毒を吐くのは、そういった事情からです。せっかく仲間を作るつもりで結婚したのに、「寂しさ」は独身のころとは変わらない、それどころか責任だけは大きくなる。だから結婚なんてゴメンだ、というのが正直なところでしょう。
ぐるっと回って「人はなぜ結婚するのか?」
「結婚」の外側は立派だが、実が伴わない、というのであれば、なにが結婚の意義でしょうか?仲間ハズレに見られないこと、だとしたら、もはや人にどう見られるかだけの結婚ということになります。
そう、外からどう見られるかだけの結婚というのが答え。そしてたぶんめちゃくちゃ多いです。
この現実をドーンと見る機会が増えればいいと思います。みんなが、やれドレスだ、ダイヤモンドだ、温かい家庭だ、と曰うから、結婚後の現実が実に虚しい。もし、「仲間ハズレじゃない、と思われるために結婚するのです」と分かっていれば、ものすごい期待薄のところからスタートして、相手がちょっとでも仲間に入れてくれるそぶりを見せてくれれば、素直に喜べます。
結婚はファンタジーじゃない。かといって、生活でもない。あくまで仲間としてどうわかり合えるか、です。
では、あなたは人とわかり合えるほど成熟しているでしょうか。求める人物と同じだけ、誰かのピンチを受け入れる器を持っているでしょうか。
それがNOの内は、結婚したところでしょせんはハリボテ止まり。実力に即した分だけ手に入るのです。自分を磨くのなら、「人とわかり合える」程度を磨きましょう。結婚したからって幸せになれるわけじゃない。これが真実です。