求められる人・求められない人

発言小町を見ていて、ある種似たような発言が並ぶのが気になる。

・人見知りで容姿も悪く正社員じゃない私、結婚できるかしら?
・婚活で何度か会った相手が私に興味ないみたい。
・何度も誘うのに相手から誘われない
・人付き合いが継続しない
・腹を割って話す相手がいない
・なんでも相談しあえる友達が欲しい
・結婚したらオンナ(オトコ)が損をする
・妥協して結婚したらいいのか?
・ママ友の輪に入れない
・恋ができない

これらの人の共通点は、無償で愛をくれる親を求めていること。
いつも自分を気にかけてくれて、自分の話を真剣に聞いてくれて、自分が得するように相手が損してくれて、常に自分に興味津々でいていくれる。

はい、3歳児に向ける親の視線を期待されています。
でーもー、大して長い付き合いじゃない、血も繋がっていない人、どーでもいいというのが当然ではないでしょうか。
ちょっとやそっと接点を持ったくらいで、そうそう人は他人に愛など抱かないんですよ。

その一方、相手から猛烈に思われる人というのもいる。
その人の特徴は先の例に照らし合わせると

・人と交わるのが好き。結婚は自然のなりゆきで。
・婚活でこんな素敵な人に出会えた(積極的な相手の良い所探し)
・興味がある人と会う。誘う誘われるに執着無し
・一度関わると、長く付き合いが続く
・悩み事は自分で考える。
・友人との距離は節度を持つ。孤独を受け入れる。
・結婚して相手と二人三脚で生きていくことが幸せ
・この人と結婚できて幸せ!
・ママ友とは必要な付き合いに留める(気が合えば友人になる)
・たとえ傷ついても恋をする

自立していて、自分スタイルがありつつ、相手のことを認められる力がある。
これが大人。一人一人独立した人間として、互いを見る視線。
一見するとクールに見えることもあるけど、自分の心に素直に無理なく、それでいて他人を信じる力を持つ。
他人との距離感の適度さは絶妙。



自分ばかりに視線が行って、愛を求める状態は、発達において十分に愛が満たされていないことを物語る。
大人になってから、欠けている愛をどう埋めるかは、まだまだ私自身試行錯誤ではあるが、欠けていると知ることだけでも、不安に振り回されているだけより進んでいると思う。

30代、はたまた50代にまでこのような悩みが蔓延しているということは、それだけ多くの人が欠けている愛を埋める作業が必要ということである。
現在のカウンセリングでは、認知療法やリフレーミングといって、信号の解釈を変えて物事を肯定的に捉える治療がなされているが、その治療よりも前に、愛で心を満たし、心の飢餓感をぬぐうことが先決。
飢餓感が失せて、心がフラットになったとき初めて認知の組み直しが効くと思うから。