身内や身近な人が「相手のことを想像するのが苦手」なせいで、話し合ったり意見をすりあわせたりすることが難しく、「相手のことを想像できる」側が鬱症状や身体症状に悩まされ精神的に追い詰められた状態を、カサンドラ(情動剥奪)症候群といいます。
Wikidepiaによると
カサンドラというのは、ギリシア神話に登場するトロイの王女の名前である。太陽神アポロンに愛されたカサンドラは、アポロンから予知能力を授かる。しかし、その能力でアポロンに捨てられる未来を予知したカサンドラは、アポロンの愛を拒絶したので、怒ったアポロンに「カサンドラの予言を誰も信じない」という呪いをかけられた。カサンドラは真実を知って伝えても、人々から決して信じてもらえなかった
身内や身近な人に理解してもらえず、且つ周りの人々からも酷い仕打ちを受けてることを信じてもらえない。つまり自分の中の悲しいや悔しいが認めてもらえない状態(衝動剥奪)なんで、想像するだけでも苦しいです。。
なぜ周りは当人の苦しみをまともに取り合ってはくれないのでしょうか。
カサンドラが理解されない理由1-説明不足
人間、追い詰められると、一秒でも早く心の中にたまった感情を吐き出したい衝動に駆られます。そこにはわかりやすく話そうとする工夫だとか、話を整えようという余裕がありません。思ったことを思った順にだぁ~っと並べる。
話していることは「いかに自分の気持ちが相手に理解されないか」。
でもこれはどこの家庭でも起こりうることです。
ミニカー収集が大好きなお父さんと息子に対し、断捨離して部屋をスッキリしたいお母さん。お母さんがどれだけ口酸っぱくいっても、男性軍は珍しいミニカーを見つけると買ってきて棚に並べます。お母さんからすれば、全然私の「片付けてスッキリしたい」気持ちが理解されてない、になるでしょう。
だから、いわゆる家庭の問題に格下げされてしまう。
それを避けたければ、趣味云々でもめてるのとはワケが違う、と理解してもらわねばなりません。
そのためには、相手の頭の中にはないであろう、「相手のことを想像するのが苦手」な人がいる真実を知ってもらうことです。人が亡くなったときに「さっさと死んでくれてよかった」などと素っ頓狂な物言いをする人が存在することを伝えるのです。
それを相手も分かってるハズだと端折るから、理解してもらうのが難しくなるのです。
カサンドラが理解されない理由2-選択の自由
我が国では、結婚相手は自由に選んでいいことになっています。不幸にも配偶者が「相手のことを想像するのが苦手」な人だった場合、選んだ側の責任を追及する声は上がります。
自分で選んだんだから、文句言うなよ。
確かに選んだのは選んだんでしょう。しかし「相手のことを想像するのが苦手」な人の特徴として、一度欲しいと思ったモノは意地でも欲しい。
それこそ手に入るまでは猫を被って、魅力的な人物として振る舞うことに必死。そして手に入るとあっさり手の平がえし。相手のことなどまったく想像しなくなります。
その変貌ぶりたるや、一般的な結婚前後の落差とは比べものにならない。
それをハタチそこらの人に予備知識として持っておけというのは酷というものはないでしょうか。
でも、やはり日本は自業自得の国。たった一度のの選択ミスも許されないようです。
カサンドラが理解されない理由3-愚痴は聞きたくない
カサンドラ症候群の人は、めちゃくちゃ困っているので、困ってることを口にします。愚痴は聞いてる人をわるい気分にさせます。わるい気分を喜ぶ人はいないので、話を早めに切り上げようとします。
それが「どこの家庭もそんなものよ」です。
誰だって内心言いたくても言えない家庭の不満は山ほどある。なのでいちいち人の家庭のことまでは知らんのです。他人は他人で勝手に自分の家のことを処理していて欲しいのです。
「SOSを挙げれば助けてくれる人はいる」といいますが、それは余裕があれば助けてくれるってだけ。いつでもそうとは限りません。ましてや誰の家にでもありそう(にみえる)な家庭の問題です。
こちらも黙ってるから、そちらも黙ってなさい、というのが本心でしょう。
カサンドラが理解されない理由4-話が終わらない
仮にSOSを拾ってくれる人がいたとしても、問題である「相手のことを想像するのが苦手」な人を変える手立てはないので、愚痴を言ってスッキリするの繰り返し。
それに付き合わされる方はたまったもんじゃない。たいがい、「またあの愚痴マシーンがやってきた。逃げろ!」と思います。ですから、同じ境遇の人が集まって気持ちを吐き出す自助会以外で理解を求めることは、ほぼほぼ無理だと思った方がいいです。
互いが歩み寄るには
このようにカサンドラ症候群をとりまく環境は厳しいです。とくに「相手のことを想像するのが苦手」な人が、人当たりがよかったり、優秀であったりで、ひょっとやそっとでは問題がないように見えるならなおさら味方は得にくい。
どうしても文句の多い方に冷たい視線は集まりがちなのです。
それでもカサンドラ症候群を理解する側の私達は、世の中には未だ見知らぬ世界があって、想像できない思考を持つ人間がいて、それに振り回される人間もいるのだと、先入観なしで見つめる努力をしていかなければならないと思います。
カサンドラを理解する側は「どこの家庭もそんなもの」という先入観を持たない、カサンドラ側はたとえば5分以上この話はしない、といった互いの自制が必要ですね。