誘われないことは標準

誘ってばかりで誘われないことにストレスを感じてしまう人がいます。
そういう人は、”私に魅力がないから”と自分を責め、ネガティブキャンペーンを実施します。
でーもー、そんなにネガティブなループにはまらなくてもいいんじゃないですか?

あなたは近所にオープンしたラーメン屋さんに初めていきます。
味が普通、接客も普通、可もなく不可もないラーメン屋さんでした。
次回いつ行きますか?
他の食べ物屋さんがしまっているとき、予算上近所で食べられる所がそこだけだったときくらいではないでしょうか?

つまり積極的にそのラーメン屋さんに行きたいとは思わなかったわけです。

それと同じ。
自分の魅力は他人にとって避けるほどではないけど、積極的に会いたいわけでもない。
それは悪いことなんでしょうか?

自分が今まで出逢った人、おそらく百人は超える、の中で一体何人にもう一度会いたいと思うことができましたか?
たぶん数人でしょう。
じゃあ残りのほぼ百人は、自分にとって害であったかというとそーでもない。普通です。
ほぼ百人が嫌いでもないし、好きでもない。
そして、たぶん自分はほぼ百人側の人間です。

つまり標準であれば、会いたいと思われないことが当たり前なのです。

あなたは普通の所に立っているのです。悲しいですか?

[一緒に何かする人がいないから寂しい]、[自分を支えてくれる人がいない孤独に耐えられない]という理由で、人と会いたいとすればそれはお相手にとって相当重っ苦しいものとなるでしょう。

友達とは自立した者同士が時間や考えを共有し、自分の世界に戻っていくときに互いの栄養となるよう与え合う存在として在るということです。
ある意味厳しい姿勢が求められるのです。

甘ったれて、自己憐憫に陥って、他罰的、自罰的な暴言を吐く人は友達として適切でしょうか?
違いますね。

ということで、誘われないことに悩むことそのものが間違いです。
魅力はなくて当然!ぐらいのどーんとした姿勢で、日々の暮らしを丁寧に生きましょう。
そうすれば、自然と人はついてきます。
その中から付き合う相手を選べばいいでしょう。