親は責めて不安を煽る存在でしかなかった…

就職活動で内定が出ず、焦った息子は円形脱毛症、母はげっそり痩せ、先行き不安な母から助けを求めるトピックが発言小町にあげられました。

その文から、円形脱毛症を発症している息子に対する心配ではなく、就職が決まらず心労が重なった自分(母親)への同情を求める気持ちの強さが読み取れました。

これはまさに私の母と同じです。

母は常に「アンタ(KOMA)がちゃんとしないと、私が困るじゃない。」という姿勢でした。

そして思い通りに事が運ばないと、「不眠になったじゃない。やせ細ってしまったじゃない」とひたすら私を責め、同情をかおうとしていました。
そんな母が鬱陶しく、重くてしかたありませんでした。

案の定一事が万事そんな風なので、受験や就職に没頭できるわけがなく、事態は悪い方へ悪い方へ流れていきました。
するとさらなる責めがやってくるのです。
もはや生き地獄の領域。
親とは、子供を煽る存在でしかなく、子供の気持ちを思いやるなんて百年先、家庭とは休まる場所ではなく針のむしろになる場所でしかありませんでした。
そんな環境が、昨今の自分の性格の基盤を作ったのだと思います。

事態が悪い方向へ行くと、誰かを責めてしまう。
体調が悪くなってしまう。そして悪くなった体調を誰かに勘づいてもらえないとイヤなのです。
まるで母そっくり。

情けないですが、養育環境を振り返るとある意味仕方のないことかも知れません。
がしかし、人間は誤りを訂正することができます。
養育環境がそうであったにしろ、今の自分が幼稚な振る舞いしかできないにしろ、未来までそうとは限りません。
まずは現状を把握し、過去の自分を「可哀想だった」と慰めることからスタートします。
私は異常な環境で育ちました。その異常は私の責任ではない。
本当は苦しいときこそ守られる権利があったのです。
本来なら「KOMAちゃんならきっと出来る。お母さんは信じている」と精神的に母のバックアップを受けられたのです。

ちょっと運命のルーレットが違って、あの母から生まれただけに過ぎません。

私の人生は親によって左右されるのではなく、私自身の意志によって決まるのです。
-私は変われる-そう信じたときから運命のルーレットが自分の手元に近づいてくるのだと思います。