友達が一人も出来なかった人の思考

最近、破壊力抜群のメールを頂戴した。
「お元気ですか?ご自愛下さい」。

これだけ…たったこれだけ。
まったく意味がないので、出さなければいいのでは?と思った。

このメールの差出人は受け取る側のことを考えていない。

おそらく「私に気がついて!ついでに私を誘ってくれない?」という意図だと思うが、こちらが興味を持てないので、もちろんスルー。
「はい、お陰様で元気です」と返すに留まった。

私も年を重ねて真の孤独を知り、自分にとって価値ある相手とない相手を見極める眼力を身につけた。
だから以前のようにすり寄ってこられたら応対する、という行為はとんと辞めた。
過剰なまでに相手の意図を察することから卒業したのだ。

言葉に出さなくても察してくれ、さらには自分が負うべき責任を肩代わりしてくれる相手は我が母親のようで楽チンだ。
その一方母親役はその人との付き合いを負担に感じ、「こんなことならいっそ、相手と離れてしまえ!」と思う。
気持ちの負担の偏りが人々の間に亀裂を生み、疎遠という結果になるのであるから、人付き合いに察するは不要なのである。

友達が一人も出来なかった人というのは、この例のように相手に一方的に負担を強いている。
自分は楽したい、相手は疲弊しても平気となれば、自然と相手は離れていく。
他者を尊重できない・自分の都合のいいように解釈する人は、人間関係を継続することが難しい。

どんな人も[自分が大切にされている実感]を伴ってこそ、ずっと相手といたいと思うもの。
自分を大切にしてくれない存在など不要なのです。
ですから友達が一人も出来なかった事実は、それだけ他者を尊重してこなかった証。
自分王国を築き過ぎたのです。