意志を持って親近感を創る

このブログも書き始めて早3年が経つ。
少ないながらも、定期的に読み続けてくれる人がいる。
その方達からメールをいただくと、ほぼ書かれているのが

「私も同じ気持ちを抱いている」

である。

私は意図して自分の心の内を重点的にさらけ出してきた。

それは自分の思考の整理を目的とするとともに、同じ悩みの人へ参考になればという想いでもあった。
その意図は適度に実を結んだと感じている。

さて、そんな読者が私に好意を抱いているかというと、はなはだ疑問ではある。
読者が必要としているのは、自分の心の内を代弁してくれる人であり、その意味において私は有効な人間なだけだからだ。
でも、じゃあ私が嫌いかというとそれもない。

実は血縁を伴わない人間関係というのはこれくらいドライであると見切った方がよいのではないかと申し上げたい。
心の友とか、なんでも分かってくれる恋人とか、人は一緒に育ったのではない価値観の違う人間に対して、まるで自分の分身かのような期待を寄せる。
しかし相手は相手の価値観の中に生きているのであって、万事自分に合わせてくれるわけではない。

にも関わらず一度や二度合わせてくれたからといって、生涯合わせてくれるものだと錯覚するのは、人と人の隔たりを知らぬ者の幻想である。
そしてもし他者と関わりを持ちたいと願うのであれば、なるべく他者の心を汲み取り話した方がよい。
そぅすれば貴方が私に抱く程度の親近感は相手から得られる。

みんな違う者同士、だから重なり合おうとする瞬間が貴重な体験となる。
自然と重なるなんてない。意志を持って重なろうとするから、共感が生まれる。
寂しいと悲しむ人ほど、相手の心を見よ。相手もまた寂しいと思っているのだから。
双方が自分を分かってくれる人を探し彷徨っても、満たしてくれる者は訪れぬ。
自分が相手を満たす立場に変えたとき、運命は変わり始める と私は思う。