自分を愛せない = 不倫

不倫関係の記事を読んでいつも抱く思いは「なんだかなぁ…」だ。
シャンっと一本筋が通っているとは到底言いがたく、だだっこの「あれも欲しい、これも欲しい」に似ている。

格好良くて、余裕もあって、私のことを女性として扱ってくれて、お金も持っている、ささやく言葉も心地よい >> 妻がいるけどね


自分を大切にするということは、自分を大切にしてくれる人に囲まれるということ。
大切にしてくれる人というのは、自分をないがしろにしないということ。
ないがしろにしないということは、対外的にも認められた関係であるということ。なぜなら仕事などの公的な場でも時には(急病や、交通事故など)自分を優先してもらわなくてはならないから。

だとしたら[倫になら不(ず)]と言われる行為は対外的に認められないので、元へたどっていくと自分を大切にしないことになるのです。
それは、精神的な弱さから薬に手を出す人と同じ精神構造。
薬で脳細胞が破壊されることは、きっと皆さんよく知っている。
でも自分の身体よりも現実の逃避が優先されてる。

目の前の嫌なことを忘れられる、一瞬ハイになって気持ちいい、万能感に溢れる >> 自分の脳破壊されるけどね

自分を愛する・大切にするってことは、実は簡単なことじゃないんです。
愛するというのは、対象が誰であれ命がけだし、時に自分の弱さをまざまざと見せつけられることもある。
それでも愛する対象(自分、他者)が幸せでいて欲しいと願うから、一踏ん張り二踏ん張りして、対象が立ち直るまで、やる気が湧くまで支える。

それに比べどうでしょう?不倫の甘々さは。
なんの踏ん張りもない。せいぜい会えないときの寂しさや焦燥感を甘受する程度のもんでしょう?
やや負担に感じるそれらの感情をまるで悲劇のヒロインのように「耐える私」に美化したり、「ちゃんと罪は償っている」と正当化の原因に転化したりして、己の生活を省みようともしない。
完全に脳が中毒に冒されています。

言葉尻に踊らされて、「愛」っていいもんだ、ステキなもんだと思うから、不倫を真実の愛とか勘違いしちゃってる。
不倫は軽く自分への虐待ですからね。薬バンバン腕に打ってるだけですからね。

そんな自分を大切にしない人は、それがすぐに他人に勘づかれちゃって、やっぱ次も、またその次も2番手3番手をやらされる。
他人がぞんざいに扱うものは、また別の他人もぞんざいに扱うのです。
そんな中でぞんざいなものを宝石のように扱うまれな人が登場するまで、首を長くして待っていたら人生終わっちゃいます。
だから、まぁ自分で自分を大切に思うなら、なにをどうするかを考えるってことですね。
薬におぼれるか、厳しい愛の世界へ足を洗うか。

世の中で眉をひそめられる行為というのは、犯罪にしろ、不倫にしろ、同じような精神的溺れが原因です。愛の厳しさを知らないのです。
厳しさを知らないと愛のもたらす恩恵も味わえない。
なんとも外だけ飾り立てた虚無な人生ですね。