不倫はまやかしの自己肯定

不倫をキーワードに、けっこうな訪問者がいます。
ご自身が不倫している場合、周りが不倫している場合、どっちが多勢なのでしょうか?

今日はみんなが気になる不倫について、その毒を考えていきたいと思います。

きっかけはちょっとしたこと

一番不倫の多い場所が「会社」ということから考えて、不倫の原動力は容姿ではなさそう。
むしろ、日常のちょっとしたことがきっかけで、相手への見方が変わって、恋に落ちると推測される。

大人を取り囲む環境はいつの時代も厳しい。
高く掲げられた目標、達成できないほどのノルマ、出来て当たり前の風潮、自分が悪くなくても食らうとばっちり。
頑張ってもだれも褒めてくれない中で、孤軍奮闘していると、孤独に飲み込まれる。

大人になったから、孤独にも向き合える鬼の心臓を持てるわけじゃない。
分からないことだらけの中での綱渡り人生。
孤独の淵に立った人が思うこと ”守ってくれる誰かが欲しい・・・”。

会社はチームで仕事をするから、必然的に誰かを助けることになる。
その助けを、「私のことを守ってくれてる」と勘違いすることもあるだろう。
それが不倫の始まり。

孤独に太刀打ちできない人間は不倫の沼に引き込まれる

孤独な世界で、温かい手を掴むことを知った人は、その手を離そうとしない。
もっと、もっと、孤独から距離を置きたい。

不倫が始まると、一人でいる時間が前よりも深く刺さる。
本当はもともと一人なんです。孤独なんです。
それを脳内で二人と書き換えて、一人でいる時間を際だたせて考えるから、孤独がより孤独に感じる。

孤独を親友のように捉えられる人は、不倫をしない。
手助けは、あくまで手助け。温かい手はビジネス上のもの、と割り切れるのです。

不倫は自己肯定を行ったり来たり

孤独を悪と捉える人は、不倫によって感情が大きく揺れる。
愛されてる自分を肯定したり、家族を裏切ってる罪悪感に打ちのめされたり、結婚して幸せな家族を夢見たり、不倫という現実に絶望したり。
自分がどう生きるかという指針がない。

自己肯定は、自己を肯定することだから、本当は周りから影響を受けない。
不倫に飲まれると、「自己」という概念が薄らぎ、他者(愛人)によって肯定される自分が台頭してくるから、肯定感が安定しない。

そういう人はパフォーマンスが落ちて、知らない間に周りをがっかりさせているのです。

一時の自己肯定はまやかしレベル

”不倫相手に愛されてるんだから、幸せだわ”と感じるのは、まやかしです。
もろい愛なんて、都合のいい愛です。
都合のいい愛とは、消費される愛です。

結局、恋愛ごっごとしての道具として使われてるんです。
ちょっとした非日常を味わいたい、くたびれた日常に刺激が欲しい。
そんなカレーの福神漬け的役割を担って、どこが自己肯定でしょうか?

使われてるという自覚を持ちましょう。
愛されてるんじゃありません。

「出会った順番が悪かった?」
いいえ、そんなことありません。
どうしても一緒になりたいなら、不倫が始まる以前に互いに配偶者との関係を清算しているはずです。

ずるずるいってるってことは、あれも欲しいが、これも欲しい、つまみ食い程度にあしらわれてる証拠。
都合のいい快楽的道具として扱われる自分にけりをつけて、人として真摯に向き合える相手とつきあっていきましょう。