「頼る」と「利用する」の境目

可愛げのないオンナはモテない。
隙の無い女性は、男性が離れてく。
・・・ハイ、それ全て当てはまりました。

自分では自立心があって、責任感もあって、いい人だと評価してました。

でも、どうも魅力が無い、異性から求められない、ナンカ変だと薄々思ってました。

でね、考えてみたら、自分の責任論にひどく縛られてたんです。
すべきで頭を埋め尽くして、「丸投げなんて無責任。できる範囲は全てカバーすべき。努力の先に神が微笑む」と思っちゃってた。
他者に頼るのは最後の最後の最後。知らぬ間に超しっかり者だったんです。
後輩のカワイコちゃんが、「ふぇ~、分からない」とかいってるのを”イラッ”としながら横目に見て、自分は仕事に邁進。
頼まれ事があれば、全力で力になる。
たくましいです、私。

そんな私が他者から奪っていたもの→→→それは他者が己の存在価値を確認するチャンス。

頑張れば私が出来ることでも、一部他者に負担してもらい、力を貸してくれたことをお礼を言う・相手の成果物をに認める ってことをすれば、他者は私と一緒にいて己の存在価値を強く感じること出来ます。
でも私が ”頼むなんて私が無能みたい。わざわざ相手を認めるのも嫌。だから努力して自分でなんとかするっ!” と思っていたら、私と他者の間になんの感情も生まれない。
そりゃ、モテないはずです。

気をつけなくてはならないのは、私が慢心して一度相手が手伝ってくれたのだから、また手伝ってくれるだろう、手伝ってくれて当然だろうと思い始めたとき。
それは「頼る」から「利用する」へシフトしたということ。
利用するのは、他者に対して尊重の念などなく、他者を都合良く動く手足としか思っていない傲った行為。
何も返されることなく、労力・知力だけがもぎ取られ損した感じ。
そりゃ、嫌われます。

頼み事をするという意味では両者似ているのかもしれませんが、中身を見るとまったくの別物。
別物であることに見分けが付かないから、頼っちゃいけないと意固地になったり、利用してしまえと傲慢になったり。
自分一人で出来ることには限度があるし、ときに力を分散した方がいい結果を生むこともあります。
自分の限界を知り、相手の力に感謝するという広い心が持ててこそ、人の中で上手くやってけるのだと思います。

よくよくその差を見抜きましょう。
利用されてるだけなのに、相手からの「これができるのは○○ちゃんだけ」「本当に感謝している」という言葉に乗らされて、毎回々損した感を持ちながらも、「しゃーないか」と思っている人は要注意。
いつのまにか、相当心の財布からお金抜き取られてますよ。