結婚にリスクも背負いたくないと言った人間が、最後リスクだらけになる矛盾

30代の女性に「どんな人と結婚したいですか?」と尋ねると
「収入が安定していて、オジサンぽくない容姿で、学歴がしっかりしていて、家事育児に積極性のある、親と同居の可能性がない男性」と返す人がいる。

おそらくこの人は、人生の先行きが見えないので、なるべくリスクの少ない相手を選びたいのだろう。

だから選りすぐって、選りすぐって、選りすぐって、この年まで来た。
「いまさら希望を下げるなんてできるか」っと。

人はこれを強欲という。
あれも、これも、それも欲しい。
ただ、見方を変えると、この人は自分の唯一の欲がなんだか分かっていない。
受身でなにも考えていないから、一般に言う条件の良い人を挙げているだけ。
私だけの、私ならではの、譲れないものが何か答えることができない。

これってほぼ選択していないのと同じ。

その、受身の、選択をしない人に、素敵な生き方をしている人が惚れるだろうか?
素敵な生き方をしている人は、意思ある選択のできる相手を好む。
なんでも世間標準求める人なんぞ、魅力もへったくれもないから。

この人がAの紹介所に登録し、Bの婚活サイトに登録し、ツテで相手を紹介して欲しいとお願いしたとして、その未来は?
やっときたお見合いの話を「この人と一緒に暮らしたらリスクがありそう」と断る。
素敵な人に出会えても、今度は相手からお断りの返事が来る。
そうこうしているうちに、無残にも年月が流れ、気づけば独りぽっちは自分だけ。

ここまできたら言わずもがな、リスクだらけの老後です。

なんでもかんでも望むと、なんにも叶わなくなる。
私はこれだけは譲れない、実現したい!という人は、具体的戦略を練ることができるし、偶然答えが近づいてきたら「コレッ」と掴むことが出来る。だから叶う。

「求めよ、さらば与えられん」の真逆
「求めない、さらば与えられもせぬ」
これが神の答えだと思います。